見えている世界がすべて内なる自分の世界のことだとしたら

子どもの頃からあなたが見てきた外の世界はあなたの世界ことだとしたら・・・

 

これがわかると、、、心が楽になると同時に人生が自分の責任であることを自覚するのでずしんとある意味重くなる。

今まで都合の悪いことは誰かのせいでできていたので楽だったからだ、

しかし、自分の人生の表れなら自分の人生を内側で変えることができるので楽にもなる。

 

♥あなたは私のように自分の内側が外の世界に反映していると思えますか?

 

それをどこかで知ってうすうす気づいているかもしれない。

しかし、なかなか腑に落とすまでには時間がかかるかもしれない。

 

自分の内側の心が変化したら・・・見事に外の世界は違うものに見えてくる。

私はこれについて何度も実験している。

同じ店員さんなのに、私が自分の見方を少し変えると、この店員さんは少し違って見えてくる。

これは苦手な人というのを無理に好きになろうとすることではない。

自分を変えるとはこの店員さんが苦手でもいいんだ、嫌いでいいんだと、受け入れる。

私は自分だって、この店員さんから見たら嫌な奴に見えるだろうと。

 

なんというか、私のやり方は相手とイコールにするというやり方だ。

変に上から、悟った人やできる人にはならないようにしている。

同じ目線でいるようにする。

 

それでも私にもなかなか難しい相手がいた。

今まで自分の人生を変化させてきているが、どうしても難しいのが身内だった。

私の実家では女を大事にしない、女は下働き、女を下に見るという考え方が強かった。

私はどうしてもそれが許せなかった。

私の年代までくらいは妻は夫に尽くすことが良いことだとされてきた。

夫を立てるとか夫に従うとか、、、それが良妻賢母の姿であった。

兄と弟の間に位置する女の私は彼らより身分を下げられるので常に反発してきた。

この男尊女卑的な考えは男だけでなく女にもかなり深く刷り込まれていると感じている。

未だに中年の男性たちの中に気がつかないくらいの男上女下という意識がある。

人の脳への刷り込みと言うのは時代が変わってもなかなか変わらないものだと感じている。

 

これを自分の内側のこととして捉えるとどうなるか?

まずは、男尊女卑を誰かの中に見た時、それが私自身の中にあるということになる。

だから、自分の中に刷り込まれて男尊女卑の意識を意識することから始まる。

自分の中にないものは見ることができない。

もしそれが気にならなくなったら、それで問題が終了したことになる。

 

さて、その私の男尊女卑の意識が残っているという問題は身内である母親との間に根強くあった。。

何かにつけ母の言動にイライラした。

男尊女卑を生きているので、母自身が女を男より下に見るのだ。

つまり、母は女である娘の言うことは基本信じない・・・ようにしている。

兄や亡くなった弟の言うことはよく聞いている。

これが私にはシャクであった、

なぜなら、私がどんなに頑張って生きても、どんなに先生に褒められても、どんなに立派なことを話しても、兄や弟の方が上と思っている。

それが事実なのに・・・そう思いたい。

私から見たら、兄の考えは古臭く融通が利かない。

母はあほかと思うくらい、そういう兄の方に肩を持つ。

 

これは他の人にも見たことがある。

40代で自分が女なのに無意識に女を男より下に見る女性がいる。

こういう女性がいるから女の身分がいつまでも低く、いつまでも幸せになれないのだ。

 

私は今決めているのは、こういう女性とは離れていることだ。

私には自分より上とか下とか、こんなことをいちいちやっている人とつきあう暇な時間はない。

よって、母とはあえて距離を取っている。

彼女は私が水くさいとか冷たいとか思っている。

親不孝者である。

面白いことに、母から見たら私は悪人である。

私から見たら、女性の地位を下げる悪人である。

見えているものが正反対なのだ。

これで分かり合えるはずはない。

 

母は普通に世間話をしたいと言うが、私には人のうわさ話やどうでもいい話をする時間はない。

むしろ、この世の男尊女卑という不条理の中いかに生きるかに必死だったからだ。

その私の苦しみの原因が男尊女卑を生きる母にあったのだ。

しかし、こういう身内に育てられたのは・・・私の設定である。

つまり、前に書いたように見えている世界は自分の責任としたら・・・。

 

極論から言うと、私の人生は母のせいではないということになる。

私は私の人生から学んでいるだけ・・・ということに尽きるのだ。

 

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