YESとNO をはっきりさせると自分の人生が見えてくる

昨今、人の意識は大きく変化している。

昭和の時代では馬鹿にされていたようなことが令和になるととても重要なことになっている。

例えば、会社などでの女性に対する対応も違ってきている。

昭和の時代、男性が女性のお尻を触ったり卑猥なことや蔑むようなことを女性に言ってもそれはまああることとして暗黙の了解で許されていた。

女性は傷ついても、周りの人たちにかばってもらえない時代だった。

 

私が子どもの頃、親に私が見えている霊的な話やエネルギーの話をしても、そんな馬鹿なことあるかと一笑に付されていたことが、今は真剣に聞いてくれる人たちがいる。

30年前にフィヨルドへの旅で一緒になった日本の大学の助教授の女性に私がベジタリアンだと話したら、それ宗教?と言われ、なんて考えが遅れているんだろうか?と思った。

 

昭和や平成においても、私の生き方や考え方は頭の古い人には理解できないことばかりだった。

よって、相手の中に何を感じて見ていても、黙っているしかなかった。

 

しかし、この頃若い人達の中にこういう霊的な話が感覚的に理解できる人たちが増えている。

彼らと話せば話すほど私は覆い隠してきた自分の本音を掘り起こすことができる。

今までの概念そのものが若い人にはもう役に立たなくなっているのだなあと思うと、そのギャップを恐ろしてく感じる。

これからは柔軟に対応していかないと、、、いったん凝り固まった意識は固まっていくだけでどうにこうにも動かなくなる。

私自身もあえて古臭い自分の意識を変容させていこうと思っている。

 

♥YESNOをはっきりとさせる

自分の中で今までNOだったことが、、、YESとなるということ。

それは人生を逆転させる。

この体験は1986年にヨーロッパにはじめて渡った時に起こった。

初めの滞在国はオランダである。

女性は自分のことを自由に表現していたのが新鮮だった。

私は・・・慣れない英語でYESとNOを何度も言うたびに抵抗を感じ始めた。

何度もYESかNOを答えないといけないことに私は戸惑った。

日本ではどちらでも・・・なんて言っていたのだ。

何を食べたいと言うと母に尋ねると「なんでもいい」と答える・・・私はこれに慣れていたのだ。

食べたいものさえ、人に合わせて自分で決めない。

それがさもいいことのようにして育てられたのだ。

ヨーロッパに渡りはじめて自分の人生を人にゆだねて生きていたこと、自分の人生の責任を取らないということに気づいたのだ。

YESとNOと答えることに慣れてきた時、変な話だが、私は誰にも遠慮しないで自分の意思をはっきり言っていいのだと実感したのだ。

私はどこか解放され気持ちになった。

 

そうなのだ、こんなことで自由になるのだ。

 

日本ははっきりしない言葉のように思う。

はっきり言うと相手を嫌な気持ちにさせるから、できるだけ言葉を選ぶ。

それは相手に自分を勘違いをさせる危険がある。

はっきりと言うから相手にわかりやすいのだ。

はっきりさせないから相手は勘違いしてかえって人間関係は複雑になってしまうことは多々あった。

まして私が育った昭和では男性優位社会であり、女性は男性に気を使い男性を怒らせないようにするのが普通であった。

だからこそよけいに私ははっきりとNOが言えなかった。

相手に気を使ってYESかNOをはっきりとさせない状況の中にいると、一体自分が何を感じているか、また、何を考えているかが曖昧になる。

はっきりさせないということは結果自分がどう生きたらいいかわからなくなるのだ。

これは怖いことだ。

自分が何をしたいか?よくわからない人が増えているは、物事をはっきりとさせないということも原因の一つではないだろうか。

 

さて、私は女への重圧があった日本で育ち、それでも男性優位社会で耐え本当の強さを身につけ、1986年にヨーロッパに渡り、女性でも誰でも堂々と本音を言っていいんだ、それは頭がはっきりとするくらい気持ちがいいことだと学び、その13年後、女性が生きにくい日本に戻り、この令和に入り、、、やっと自分の本音に従って生きることができるすてきな風の時代に入ったことを、私の実体験から伝えていきたい。

 

ミサエ・ハートリーの夢(使命)について語りました。

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