闇はあっぱれ闇であった

スピリチュアルでは、その人が見ている世界、つまり、その人の現実に起こっていることがその人の意識状態を表していると言われている。

 

これがなかなか受け入れらない。

良いことはもちろん、自分が良いからだと思えるからいい。

ところが、すごく嫌なことが起こって迷惑だと思っていることについて、まさか自分の意識がそう見せているとは思えない。

あいつが悪いからだと思いたいものだ。

相手から意地悪してきたからだ・・・と思いたい、まあそれが自然な気持ちだと思う。

また、過去の嫌なことはなかったことにしてすべて許したなんてことをやっても何かあるとその怒りの記憶がふたたびやってくる。

 

私はネガティブな体験の気持ちを何度なく無くそう消そう許そうとしてきた。

そのたびにその嫌な想いはより一層強くなった。

闇と向き合って光へと更生させようとしても、まったく効き目がない。

それどころかすっかり汚いものが自分にとりつき、自分のエネルギーが下がり運気がどんどん落ちる。

もう闇は疫病神だ。

ものすごく手ごわい。

昨年暮れに完全にあきらめてそれらを手放したら、こちらが弱くなったせいか急に病になった。

これが私の引き寄せか???

カルマの清算なのか?

真っ暗な中泣きながら、自分と向き合った。

 

今の私は、先祖・地球での転生の過去生全部を含めてこのことが起こっていると気づいている。

これはすべて私の内側の問題であり、もっと言うと集合意識の問題でもある。

ここまででわかっていることは、

闇は闇として成り立っているということだ。

これを否定していては人生は片手落ちだということ。

闇も光も、悪も善も、どちらも立派なあり方なのだ。

たとえ、それが醜くても美しくてもいい。

人をだまそうが、人を貶めようが、それが闇だ。

この次元には闇があることを認めること、これに降参すること。

きれいなもので覆いをしても闇は光ではない。

闇は暗いところがお似合いだ。。

 

私の中の闇を認めたくないから、それはいけない!と言い、ずーっと相反するものと戦ってきた。

だから、人の争いや戦争はなくならない。

人種差別も、ジェンダー差別も、その他の差別もだ。

上か下かでは解決できない。

どんなに闇がいけないと説明しても、結局、それは敗北するようになっている。

それがこの次元の法則、陰陽の世界だ。

 

そんなことはよくわかっているのに、それが自分の中の問題だったなんて・・・!

この陰陽の世界を俯瞰して見ていても、私は母と話せばまたムクムクと母にこうした方がいいと言いたくなる。

話している時、母は表面的に相槌を打つ、しかし、結局、馬鹿にして絶対に聴いていない。

まったくの時間の無駄だ。

しかし、この誘惑になかなか勝てない。

幼い頃の親子関係からの脱却はなかなか難しい。

つじつま合わせでいい加減な話をする母を、なんとかしてそれを正そうとしても・・・勝ち目はないのだ。

ただただ感情が乱れて落ちるだけだ。

会話をしないようにしても、親とはなかなかの吸引力がある存在だ。

 

これは私の問題なのだ!

正したい、こちらが正しい、それでは不幸になるからこっちの方だよと言っても、それは彼女には受け入れたくない道なのだ。

私にできても相手にはできないのだ。

大切な相手が苦しそうに見え、助けたくても、拒否したら、それをそのまま尊重することだ。

 

私はひたすらこの長くやってきたこの(おせっかいな)癖の誘惑に気をつけるしかないのだ。

これがスピリチュアルの世界で言われている「統合」のプロセスともいえる。

私の場合、これを克服することが、結果、精神的な自立に向かう。

これは何も母との関係だけではなく、子どもたちとの関係、クライアントとの関係、社会との関係、自分と先祖の関係、自分と天使との関係まで、多岐にわたることになる。

 

※色はいろいろ、人もいろいろ、いろいろな人がいて美しいという、いろのみせ(ironomise 色の店)のコンセプトにもなっている。

これがやがてコミニティーになり、ホテルになっていくのをなんとか実現させていきたい!