母は医者を上に見て神のように崇めている。
医者の方が自分の体なのにわかっていると思っている。
すべての病を治してくれると信じているようだ。
処方された薬は絶対に正しいと思っている。
今、私が関係している医者たちは何でも知っているかのように話してくる。
長年つきあってきた私の体のことをたった一度(数値)を診ただけで、医者に何がわかるのだろうか?と思ってしまう。
また、娘が医療翻訳をしいるので医者と医薬品会社のデープな裏話を教えてくれる。
こういう話を聞くと、やたらと薬をすすめる医者に対して、どう信頼していいのかわからなくなる。
毎回、病院で検査をたくさんするのでこの検査代金は高額になる。
ヨーロッパに居た頃、主治医がいたが患者とは対応な関係を作り患者の考えを尊重してくれていた。
偉そうな感じというよりフレンドリーな存在だった。
だから何でも話せた。
母のようにたくさんの薬をもらうことがうれしい人もいる。
私のように薬漬けなんでまっぴらと思う人もいる。
それより体のバランスを大事にするホリスティックな治療の方を選びたい。
今回、病院に通うということをやってみて、、、結局、自分の体は自分以外の人はまったく関係がないということがよくわかった、
自分の体(命の時間)を医者と言えど、他人に預けていいのだろうか?と思う。
まあ、人それぞれであり、世の中に絶対なことなんてない。
せめて、私は自分の体を大事にしたいので、できるだけ乱暴なことはしたくない。
だから、医者に対して自分の気持ちを正直に話すようにしている。
ところが、その質問さえくだらないかのような対応をされることもしばしばである。
母にしたら、先生様に向かってなんて失礼なことをと言うだろう。
しかし、今回、とうとう乱暴な看護婦の血液検査により私の血管はふくれ上がり内出血がひどい状態になった。
この看護婦は一度血管に入った針を無理やり抜いてすぐにぐさりとまた刺したのだ。
なんと乱暴なんだろう。
私はこの病院に通うのをやめた。
自分の命と向き合ったことで分かったのは、最終的に自分の体は医者ではなくどうするかは自分に責任と権利があるということ。
自分を大事にしているからこそ納得して治療したいのだ。
今日一日、何を食べ、どんな生活をして、どんな気持ちで過ごすか?
それが私の人生の日々の積み重ね方となった。
病になったことで、宇宙と繋がって瞑想するように、物理次元の自分の体と私の意識は強いつながりを作りはじめている。
自分の体の声を聴きながら、自分の体を整えていくという新しい私の体作りだ。
体に今必要なものはビタミン?カルシウム?それとも、タンパク質?と西洋医学的に尋ねることは難しいが、東洋的でホリスティックな観点から統合された私の体全体を感じて生きることは可能だ。
♥余談になるが、そうなってくると・・・世の中の体重や体型や筋肉などひょっとしたら関係なくってくるんじゃないかと思い始めている。
医学情報やテレビやYouTubeのCMでは血圧はこうあるべき、体重はこうあるべき、太っていてもはいけない痩せていてもいけない、、、それをやらないと~~になるかも・・・みたいな恐怖心を植え付ける。
太ってもいないのに太っていると思い込みダイエットがしたくなるかもしれない。
外の情報を鵜呑みにしないで、自分の体と向き合うことは自分を大事にしていくことにつながる。
外の情報から自分を守り自分を恐怖のどん底に突き落とさないようにしてほしい。
最後に、長生き信仰にはまらず、命は寿命であり、その人次第で生きていいのだ。
それより、日々、後悔のないように精一杯生き、自分によくがんばったねとたくさんほめて生きていきたい。