私の心は昨年まで娘たちや身内や古いクライアントのそば近くに居た。
それは彼女たちを自分のことのように感じていたかったからだ。
大切な人たちだ。
自分の人生より彼女たちのそばに居たいという感じであった。
まあ、彼女たちにはうっとうしい存在だったかもしれない。
そこから私は離れ、いよいよ他人家族(夢のホテルのメンバー)へと気持ちを向けることに決めた。
それにしても母親業というのはとてもいいものである。
一度、ママになったらなかなかママ業からは抜け出せない。
私の娘はまだママではないが、私はそれについてはまったく気にしていない。
彼女たちの人生の選択を常に優先させているからだ。
そんな彼女たちにも、養子を迎えてもいいから一度ママになってみたらいかが?とお勧めしている。
私は自分のことが嫌いで子どもを愛せなかったのに…今じゃ大きくなった娘たちを目の中に入れても痛くないくらいに彼女たちを愛している。
全身全霊で彼女たちを応援してきた。
25歳という若さで未熟だった私は母親になり悩みながら必死で子育てをしてきた。
そのおかげで内側から愛(母性)のエネルギーがどんどん沸いてくのがわかり、不思議なくらい満ち足りた時間を送ることができた。
ママって本当にいいものだ。
これは何回でも言いたい。
多少過干渉でも、毒親と言われても、それが親子の学びであり、互いに自立を学び合うために選んだ関係なのだ。
私は娘たちとめちゃくちゃ言い合ってきた。
たくさん喧嘩もし泣いてきた。
たくさん笑ってもきた。
嫌われてもいいから嫌なことも言ってきた。
たくさんの思い出がある。
こんなにとことんやりあっても私たちはそれさえ楽しんでいる。
私たちには遠慮がない。
娘たちは次は何をやらかすのか?と私はいつも面白がっている。
私はママという存在が大好きだ。
デパートの地下によく出かけるが、アルバイトのレジのお母さんたちに癒される。
ママには温かい心があるからだ。
昨今、子育てをする親に厳しい時代、それもいたしかたないことだが、お母さんという仕事はなかなか難しいものだ。
人育てというのは結局は自分育てである。
つまり、母親の方が子どもに鍛えられ育てられるのだ。
子どもとはまことにありがたい存在だ。
私はこれからコミニティーホテルを作るために、娘たちのママを卒業し、新しい他人家族の親になるのだ。
もうすでにママをやりきってきたので今度はパパ役になるのかもしれない(笑)
まあ、それはジェンダーフリーという時代に合っているあり方だ。
男の人だって、ママ役をしてもいい。
ママ役ってとてもいいものだから、ぜひ、男性に味わってほしい。
ママ、ばんざい!
コメントをお書きください