<西洋音楽を上に見ていたことに気づいた>
声楽を音短大で学び、そこから、小学校の音楽専任教師になった。
小学生4・5・6年生それぞれの3クラスの子どもたちに3年半の間音楽を教えた。
その後、学校の音楽指導のあり方に疑問を持ち、まずは自分の子育てに専念したいと思い退職をした。
私は今になって子どもの頃から長く慣れ親しんだ西洋音楽というものを自分より上に見ていたことに気づいた。
西洋音楽が音楽教育の本道みたいに信じていたのだ。
これでは明治以降、文明開化の影響だろうかと考えてしまう。
音短大ではイタリアのベルカント唱法を学んだ。
確かに美しい発声であったが、そのせいかわからないが、この年齢になるまで歌うことを封印していた。
なぜなら、もう歌いたくないというよくわからない失望感があったからだ。
どうやっても西洋人のようにはなれない。
これはバレエもファッションについても同じような感覚がある。
たとえば、日本人とイタリア人では体型が違うのであるから彼らのようなスーツの着こなし身のこなしは日本人には難しいのだ。
もともと日本人は着物というものがベースにある。
実際にフィレンツェに行った時、たまたまピッティ、メンズ見本市が開かれていてフィレンツェの街中にかっこいいモデルの男たちやファッション関係の男たちがあちこちに居て、わーこれが男の服の着こなしなんだと感動し、そして、日本人の私はどこかがっかりした。
私が高度成長期の日本で育ち当時は、ヨーロッパ、特にパりやロンドンに憧れるように、そして、旅に行きたくなるような情報があふれていた。
そこに、欧米人を上に見てしまうような情報の流し方があったのではないだろうか?と思っている。
後で気づいたのだが、いつの間にか白人より劣る日本人としてのコンプレックスを抱いていた。
実際にヨーロッパに住んでから、これらの間違った思い込みに気づき、一つずつ払拭していったくらいだ。
<歌うことに話を戻すと>
ピアノも同じであるが、西洋音楽をどうやったら演歌や民謡の国の私たちが自分のルーツのように自然な気持ちで演奏できるのだろうか???
水戸黄門の主題歌を歌いながら、クラッシックがわかるのだろうか?
また、ヨーロッパに初めて渡った時、公園などで自然な雰囲気の中、クラッシック音楽を奏でているのを聞いて、これだ!これが自然な音なのだと感動した。
自然の中、生活の中にこのクラッシックは自然に溶け込んでいた。
ファッションも同じで、特に、パリにはじめて行った時、パリジェンヌの色使いにものすごく驚き興奮した。
髪の色、目の色に合わせて服を選んでいたのだ。
中年男性も、素敵な色のマフラーを粋に首に巻いて・・・もう絵になっているのだ。
しかも自然なのだ。
無理におしゃれをしているのではなく、さりげないのだ。
それがかっこいい。
さて、西洋音楽についてであるが、私の子どもの頃から周りで「おけいこ」が盛んになった頃、私はピアノという西洋音楽がさも正しいことのような感覚で習っていた。
クラッシックは私にとって正しい音楽だったのだろうか?
しかし、誤解しないでいただきたいのは、これはあくまで個人的感想である。
私はクラッシック音楽は今でもよく聞いている。
また、海外で活躍している素晴らしい日本人の演奏家はたくさんいる。
あくまでこれは私の個人的なことである。
<地声の大切さと面白さ>
昨年暮れに病になり、私は徹底的に自分を生き直そうと決意し、新しい身体との向き合いをいろいろと試みてきた。
これらの中で、ふたたび歌うことをスタートさせた。
ボイストレーナーに日本のポップスは地声で歌わないと人の心に伝わらないと言われた。
あれ~私は美しい声を目指して歌ってきたのに。。。なんだっとのか。
私の歌は裏声であり地声ではなかった。
かつての声楽の指導において、地声で歌ってはいけないと教えられていて、いつの間にか自分の地声を嫌っていたのだ。
私の本当の声、本当の気持ちを表す声で歌っていなかったことに・・・驚いた。
そこから、地声を出す練習をしているうちに今までとは違う私の声が出てきた。
とてもパワフルででかい声だ。
面白いことに、裏声で歌うと弱くなり、自分から逃げているような感覚になる。
地声はきれいではないかもしれないが、逃げない自分、自己責任で本音を歌っている感覚になる。
そうだ、この声なら人の心に届くかもしれない。
恐れずにもっと言えば、
きれいな声は、あくまで、きれいな美しい声だ。
しかし、私は人生を歌いたい。
誰でもない自分の歌を奏でたい。
それにはきれいでなくていい、私の地声の響きが伝わるかどうかが大事になってきた。
地声を想いきりだすと、自分がかつて赤ちゃんの時のおぎゃーおぎゃーという力強い声になる。
その時、私は心から解放されたような気分になる。
<日本の女性の声>
女性たちの声をYouTubeなど聴いていると、抑えた弱弱しい声、優しい声、細い声、高い声だということに気づく。
低く太い声で発声をしている女性は多くはない。
全体に声のトーンが高い。
優しそうに小さい声で高いトーンで話す方が周りに嫌われない。
昭和当時の社会では低く太い声で堂々と話す女性は好かれないからだ。
現在でも女性たちは無意識にも自分をよりかわいくよりか弱くより優しく見せようと話していないだろうか。
まあ、人のことはさておき、私はコロナでカラオケが中断していたが再開したので、さらに自分の地声に磨きをかけ、自分を解放していこうと思う。
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