人生がどうにもこうにもならず、暗闇の中人生最低まで落ちた時、そこから、次のステップは始まる。
しばらく暗闇にいたとしても、いつか上がっていくことになる。
すべての可能性が断たれ、もう誰も自分のことを認めてくれない。
もう自分はダメだぁとなる。
人生はこういうことが時々起こる。
私は今までこんなことを何度か体験している。
しかし、私にとって今回の落ち込みは相当なものだった。
自分の病や数々自分に起こる不運の連続、弟の急死、ここまで不幸が起きると、もう落ちるところまで落ちるのかと・・・私はもう何でも来いと開き直った。
暗くて長いトンネルの中、明るくふるまうのが得意な私も不安で心配で心細くて独りぼっちだった。
誰の助けもない・・・そんな中でも、私は自分と向き合い続けた。
なぜだろう?
あんなに瞑想して、スピリチュアルを何十年も学び、正直に自分を生き、周りの人を思いやってきたのに。
なぜだろう?
何が悪いのか?
自分を責め続けた。
自分を責めて解決しようするが・・・これが自分をより苦しめることになる。
いろいろなことを試してみるが、気分は落ち込んでいく。
そして、自分が底に居ることを自覚した。
底にいるのであるから、もう落ちることはない。
かつて長女がフランスのシャモニーの山から滑落してしまい、もう死んてしまったかと思ったくらいの壮絶な事故を体験した。
2回の手術後、、、私はもうどうしようもなく落ち込んでいた。
すると私の耳元ではっきりと「もうこれ以上落ち込まないから」と声が聞こえた。
その時、そうだ!私はもうこれ以上悲しまなくていいんだと納得し、その時以来、私は明るくなっていき娘の体は奇跡的にどんどん良くなっていったのだった。
信じられないと想いかもしれないが、私は時々、この導きの声が聞こえる。
聞こえるというか感じるのだ。
また、その山での事故の時、天使のような老年男女に車に乗せてもらってふもとまで送ってもらった。
どこの誰だは今でもわからない。
まして、そこの標高に車は入れないのに車を用意してくれていたのだ。
打ちひしがれている私たち家族を見ている見物人(フランス人)とは、全く違うものを放っていたカップルは私たちの背後でずーっと見守っていたのを、私は眼のふちに観ていた。
このカップルは私たちの車がある駐車場まで、その車で送ってくれている時にも、最低の体験をしている私たち家族をそっとしておくようにひとことも話しかけてこなかった。
本当にありがたかった。
このカップルは今でも人間のレベルではないと思っている。
このような体験は普通なかなかないと思うが、この体験から、私は天使は本当にいるんだと思った。
神の計らいであった。
さて、話を戻すと
あなたが最低の時、どうにもならない時、どんな時も導きはずーっとあなたを見守っている。
導きはあなたのそばに居て、辛いあなたを優しく撫でてくれているのかもしれない。
しかし、落ち込んでいる時私たちはそれを感じる余裕はない。
導きほ私たちの自由意志を尊重している。
貴重な体験に介入できないのだ。
酷く悩んで落ち込んでいたり、怒り狂っていたりする時、導きの声は聞こえない。
底辺まで落ちていき、そこから這い上がろうとした時、導きはサインを送ってくる。
誰かを通して、本を通して、情報を送ってくるかもしれない。
だから、あなたが最低な状況でもうダメだとなったなら、後は上がるだけなのだ。
その時、魂からのヘルプのサインを見逃さないように自分と向き合ってみることをお勧めしたい。
私はやっとなんとかこの闇を抜け、今、念願の夢の実現に向かっている。
それも、病になったからこそである。
病は己の心の表れ、それを責めたら辛くなる。
誰も自分の人生をかわりにやってはくれない。
自分を抱きしめ、ごめんねと、自分を誰よりも愛していくことだ。
深くて大きな闇を潜り抜けると。自分の夢が見えてくる。
そして、今までの人生はそのためにあったとわかる。
それが、自分と魂の計画であるとわかる。
・・・ここから、あなたの人生は本格的にスタートするのだ。
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