暗く落ち込んでいても大丈夫!

今の自分を変えたい、人生を拡大させたいと願いながら、まったく人生が変化しない。

人は年齢を重ねるたびに心身が動きにくくなっている。

・・・と言い訳をするあたり、私は現状に甘んじていると言える。

 

私の導きは、今こそ動き出しなさいというサインを送っている。

なぜなら、厄介なことが立て続けに私に起こったからだ。

これって、ひょっとしてここに安住せず、もう旅立たねばならないというサインではないかと直感した。

 

私の場合、10年は同じところに住んでいない。

だいたい9年目入るとわさわさしてきて結果動くことになる。

人間の望みは老後は安心安定の生活を望むもの。

しかし、永遠の魂は死ぬ最後までいろんなことを体験して成長してほしいと願っている。

これを信じない人は安定を願っていい。

私は退屈な人生を送りたくない、できるだけ魂やガイドと一緒にこの生を楽しみたい。

私だけ与えられたこの世で生きる権利を謳歌したい。

それは、悲しみや苦しみや痛みも含めてなのだ。

私も人間だから、絶対に苦しみたくない。

しかし、人生は山あり谷ありだからこそ面白く進めるのだ。

 

まあ、他人から見て私をあの年で~とか思われてもいい。

よく言われるのが、なぜ、あんなにうまくいっていたのに…やめたの?と言われることがある。

結婚も、仕事も・・・。

どうしても他の人には理解できないところがある。

堅実な人生を歩んでいる人にはわがままなふるまいに見えることだろう。

ましてや私の年代の女性には理解されない。

それがミサエのあり方としか言いようがない。 

常に新陳代謝をしたい。

自分が宇宙由来の魂だと思うとこれが納得できる。

私は宇宙を旅して、いろいろな体験をしていろいろな人に会いたいのかもしれない。

だからこそ、今に、固執しないところがある。

安定安住しようとすると内側からコンコンとノックがする。

私はこの地でいつのまにか実現させることになっている「夢」をあきらめかけていた。

闇の中にどんどん埋没していき光が見えなくなっていた。

この闇をじっくりと味わうためだった。

「夢」を忘れかけていた、一種の記憶喪失状態であった。

 

それが昨年末の病の診断で渇が入り目が覚め背中を押されかのように動画をはじめ新しいことにチャレンジしてきた。

そのはっきりした目覚めは、先日の5月皆既月食の夜中に起こった。

私の中からもう充分に学んだから闇がバイバイと離れていったのである。

ふしぎなことにそれ以来、私のエネルギーはどんどん明るくなっている。

その証拠にこのブログを書くパワーも復活してきている。

さらに、いろいろ手放せない物も来たるべき時のために手放している。

物やことを手放すほどに体は軽くなっている。

それと同時に、やっと次のステージが見えてきている。

 

♥もしあなたが人生を変えたいなら断捨離は有効ですが・・・

しかし、人生を変えたいと思っても変えられない時ってあるんですね。

そんな時は無理に変えようとしなくていいです。

自らを変えたいという時は、内側から必ずやって来るからです。

それまで停滞と暗さと思い通りにならない想いを味わうことは悪いことではない。

むしろ、じっくりと味わった方がいい。

恨みも、妬みも、怒りも、憎しみも。

意外とその重さ暗さが楽だったりします。

人生は光だけでなく闇もしっかりと味わうようにできていると今の私ならそう言えます。

いつもポジティブで、いつも成功して、いつも元気で明るく…なんて無理なことなのです。

いつも強くて勝ってばかりいる…なんて、人の弱さや悲しさをいつ学べるのでしょうか。

常にハイでいると人はいつか倒れてしまいます。

自分の心が痛んだり落ち込んだりして、やっと他人の心の痛みが理解できる。

そのことで人への思いやりを育んたり、優しくなれたりします。

負の体験は人間形成には重要な課題だと思います。

 

 

さてさて、ふうてんの寅さんのようにスーツケース一つだけ持っていきたい私ですが、日々の生活にある程度のクオリティを求めるので、そうはいかないけれど、せっせとメルカリで売っていくことにいたしましょう。

(メルカリは初めての体験でしたが、知らないことをするのはワクワクします)