女性たちは優しく愛されたいのだ!

私の人生は生まれてからずーっとなせか女の確執ばかりを見てきた。

私はそのどす黒い渦の中に引き込まれながらも、そこから何度も這い上がってきた。

女性であることが嫌になるくらい、女性の嫉妬や劣等感や意地悪を見てきた。

 

しかし、ここまで来て、女性がこの生きにくい世界で悲鳴を上げているということにあらためて気づいたのだ。

私は幼い頃よりずーっと、その悲鳴を聞きながら、彼女たちを助けられない自分自身を責めてきた。

 

そして、この数年はこういう女性から逃げたい気分になり、目立たないようにして、ひっそりとして暮らしていた。

そうなると、仕事もうまくいかなくなり、ある意味、それを自分が望んでいたのであるが、何とかしたいという強い気持ちは外に向けないために、その強くてやりきれない負のエネルギーは自分の内側に向かい最終的に病になった。

 

病になったことに戸惑いながら自問自答した結果、自分の強い想いを外に向けて表現していくことで、自分のバランスが取れることに気づいた。

それには、この女性たちをすべて受け入れないといけないということもわかった。

それは私の心の傷口を開くことから始まった。

女である私も傷ついてきているからだ。

そして、このブログで赤裸々に自分を語り始めたのだ。

そこから、いろいろ新しいことをやりながら、自分が一番何を話したいか?表現していきたいか?と模索しているうち、心底理解したのは、こんなに長い間、女性の怒りの声や悲鳴を聞いてきたことがテーマになっていることに気づいた。

 

そこで、私は女性たちを愛おしく感じるようになったのだ。

 

女性たちは愛されたいのだ。

女性たちは優しくされたいのだ。

女性たちは褒められたいのだ。

女性たちは美しいと言われたいのだ。

女性たちは自身の女としての体を大事にしてほしいのだ。

女性たちは自分だけを愛してほしいのだ。

女性たちは他の女性と比較してほしくないのだ。

女性たちは安心して暮らしたいのだ。

・・・

女性たちはこの社会で無理して頑張っているのだ。

 

それを私は痛いほど感じてきた。

 

これをなんとかして、世の中の男女に訴えたい。

女性は悲鳴を上げているのに、それを女性である自分さえ気づいていない。

心が傷つき血が流れているのに・・・強気になって無理して戦っているのだ。

 

私はそれを自分の人生を通して体験しながら客観的にそれを見つめてきた。

しかも、60年以上もである。

 

私はそのことで安堵し、もっと女を楽しもうと思った。