私の光と闇の統合

長い間、私は自分の闇を統合できなかった。

新しい時代において統合の大切さは知っていたし、それを望んでいた。

しかし、私は闇を受け入れることがなかなかできないでいた。

 

過去生の私は宗教色の強い世界に身を置いていた。

修道女のような犠牲的なあり方や自分の身をささげる生贄ということにも関係していたようだ。

また、神の声を伝えるというような巫女的な仕事もしていたようだ。 

ようだ・・・と言うのは、今の自分のあり方においてその傾向が強く見られるということであるが、まあ、それは、ファンタジーとして受け取っていただいてもかまわない

今生においても私は幼い頃から、これも変な言い方になるが、人のエネルギーが見えすぎて困っていた。

また、憑依体質で、とにかく人混みが苦手だった。

このように今の人生においても私は犠牲的な生き方を良しとして生きてきたのだ。

 

このあり方は私の人生を苦しく難しくしていた。

人のことはよく見えるのに、困ったことに自分についていまいち曖昧な感覚があった。

人の気を読みすぎていたために、自分のことを後回しになっていて、それが自然なことだと思っていた。

自分があると思っていたが自分がなかったのだ。

それに気づいたのが昨年末に病の診断を受けたことがきっかけとなった。

 

こんなに何十年も瞑想や精神世界を学び、気づきながらやってきて、自分の魂の成長を望んできたのに病になったなんて・・・私は自分を責め、かなり落ち込んだが、そのくらいのインパクトがないと、自分のあり方の問題に気づけなかったのだ。

 

私は今、4歳からの人生をやり直しをしている。

なぜなら、4歳の時、義祖母のいじめに耐えられず、このまま子どもでいたら危ないと思い。子どもでいることをやめようと決めた、その時に戻って自分をやり直しているのだ。

食べ方から声の出し方までやり直しながら、、、何と言っても、4歳の時から傷ついているインナーチャイルドの気持ちが蘇ってきた。

そこにこそ私の闇、、、憎しみの元凶があった。

 

昨年暮れに病の診断を受けた後、今年入り弟が急死したことで、私は弟と約束してきたことを完全に思い出した。

私が4歳の時、弟が生まれることで、男尊女卑を学び、そして、そこを切り抜けていこうと約束したのだ。

弟が生まれ、母は弟に義祖母は兄に情熱を傾け、私は誰にも頼れない状態になり、常に彼女たちからの怒りの的当てにされた。

その時、私は子どもでいることをやめようと決めた。

それ以来、誰にも甘えられない人間なんだという深刻な悩みを内に秘めて大きくなった。

それがあだとなり無意識に甘いものをたくさん求め、その結果糖尿病になった。

私はとても甘えたかったのだ・・・という悲しい事実に気づいた。

親に大事にされないという想いから、人のためにたくさん尽くさないと愛されない、いい人の役を演んじなくはいけないという強迫観念も持っていた。

このままの私では許されないと思い込んでいた。

 

母がよく言うことは「ミサエはしっかりしている子だから、ほおっておいてもいいのよ」だった。

それを聞く私はちっともうれしくないのに、うれしいことのように感じるようにした。

そうでないと、親たちに見捨てられているとは思いたくなかったからだ。

 

さて、弟と私は過去生修道僧仲間であり、男女差別という学びをしようと約束したのだった。

私が糖尿病になり私が生き直し始めてから、弟は役目を終えたかのように急に亡くなってしまった。

愛する弟よ、本当にありがとう。

♥この男尊女卑の学びについて求められたらまた伝えたいと思う。

 

光の闇との統合について前置きが長くなったが、

私は権力世界である男性優位世界に認められるような資格とか地位とかを形にすることをあえてしてこなかった。

この古い世界へのあえての私の抵抗だった。

私の年代(60代以上)の女性たちは若い女性たち比べ、男性より劣っているという精神的な刷り込みを持っている。

自分の感情を抑えて男性を立て怒らせないように努力している女性は少なくない。

女は男より下だから、お前は大人しくしていろという脅しの文句を聞いて育ったゆえに男性への恨みも深く、それが、私を苦しめた。

 

中でも一番認めたくなかったのは、いじめられた義祖母だけでなく母親を殺したいほど憎んでいたことにも気づいた。

さて、ここから、どうしてもこの怒りの想いを自分の中に統合できないことにもがいていた。

本当いろいろとやってみた。

ノートに書いたり、電話で話したり、瞑想したり、本を読んだり・・・

母親と幼い頃のことを話すとものすごく怒りがこみあげてくる。

母は今でも私より兄や弟を優先する。

母は女である自分をリスペクトできないのだ。

私は長くそれをわからせようと説得し続けたが、そのたびにものすごく疲れた。

怒るたびに自分を責め、話しながらまた怒りはさらに怒りは増していった。

そうこうしているうちに私は病を宣告された。

反対に私が失神して救急車を呼ぶ母の夢を見て、次の日に(実際に)母が失神して救急車に運ばれてしまい、その次の日に、私が札幌の病院で病を宣告され、その日、母は元気に退院したという結末だ。

このふしぎなくだりは以前にブログで書いている。

実は母の母親はつまり、母方の祖母は糖尿病になり、その後自殺しているので、その分もとても気になっていて、彼女の魂を癒したかったということもある。ここまでくると、もう説明が難しくなるが肉親のカルマの解消ということになる。

 

こんな状態で私はどうやって乗り越えたか?

それは、シンプルだった。

4歳の私が母親にただただ甘えたかったということを、自分が受け入れることだった。

しかし、頑固にしっかり者の私が、弱いダメな私を受け入れることができなかったのだ。

もうここまでくると、私だけの問題である。

立派な私は母をゆるさないといけない、殺したいなんて思っていけないと思ってもいた。

そんな自分を責めてきた。

しかし、、、病になり、弱っちい自分を受け入れたら、 一番弱い時の自分と出会うことができた。

私はいっきにいい人の自分が崩れ、母親に対して、しっかり者でなくてもよくなった。

もういい人のふりをして、人の怒りなんて受けなくていいのだ。

このままの私でいいと、、、それを受け入れたら、、、気が済んだ。

それら一連のことが終わった後に、知らぬ間に、母親は貯めていたお金を私に送ってくれていた。

送金された通帳をみて、私は気が抜けた。

母親はお金で解決してくれた。

金の切れ目は(腐れ)縁の切れ目になった。

こうして、母と私の関係はすっきりとしたものに変化した。

 

やっと、私は闇を受け入れることができたのだ。

スピリチュアルの世界で闇を手放して統合すると言うが、私の場合はそんな簡単なものではなかった。

闇は簡単に手放せず、とにかく、よく見て、味わい尽くす、というプロセスだった。

 

こうして、私は人として光だけでなく闇も受け入れ、清濁あわせ持つ自分になった。

 

人生を邪魔するものがなくなりすっきりとした私は、これから、心置きなくもっと大きな光を受け入れようと決めた。

私本来の仕事である・・・自由に高次元のエネルギーを降ろしそれを表現していくことがやっと始まる。

そして、そこに集まる人たちとコミニティーを作り、老若男女関係なく、自分軸で生きる人たちと楽しみたいと願っている。