私が5・6歳の頃、1960年かしら?、、、ヤマハのオルガン教室が始まった。
名古屋の中川区にあるお寺のある保育園に通っていた私は厳しい義祖母がずーっとそばについて叱られながら2年くらい何人かの子どもたちと学んだ。
おかげでその時にソルフェージュを習得し和音や音階を理解できた。
ところが、、、何と言っても、厳しい祖母のおかげで鍵盤が大嫌いになった。
そこから、小4までピアノを始めなかった。
小4で友達の影響でピアノの個人レッスン習い始めたが、何と、途中からこの義祖母が先生を変えろと脅され、今思えば低俗な教師に変えられた。
そのせいで、私はまたピアノ嫌いになった。
一番困ったのは、このいい加減な音楽教師は私にピアノを教えなかったことだ。
音楽の短大に入り、わかったことは彼はクラッシックを知らなかった。
よって、音楽を教えられなかったのだ。
私は高2の時、だらだらこんな教師から学んでいても、音楽学校に行けないと悟り、絶対に行かねばならないと思い、これもまた、友人の紹介で素晴らしい先生を自力で見つけた。
家族はこのクラッシックを知らない先生のことを理解できず、私が失礼をしたと叱られた。
当時の私はもう信用ができないので、この先生を立てながらも、本当の教師の方の言うことを聞いて必死でレッスンした。
受験勉強には遅すぎるくらいで高3になっていたので、歌やソルフェージュもちろん苦手意識の強いピアノもものすごくレッスンした。
見事合格して、このいい加減な教師と離れた。
彼の専門はポップスだった。
まったく、失礼なことに堂々とピアノ教師と名乗っている。
彼は自分のおかげで合格したくらいに人に自慢していた。
呆れた人間性だと思った。
短大は音楽教育を学び、やがて、名古屋市立の小学校の専任音楽教師になった。
小4~小6まで、クラスは3・4くらいあった。
当時1974~77年くらいの時期で、3年半の教師生活であったが、日本の音楽教育の固さに辟易した。
そこから、結婚・子どもを二人出産し、1986年に私はヨーロッパへと家族で移住した。
その時、私が感じたことは、西洋音楽とは、、、この空気、この風の中、、、で生まれたということ。
日本で水戸黄門の主題歌を歌いながら、私たち日本人は西洋音楽を理解できるのか?
私はアムステルダムのあるコンセルトヘボウに何度も通い、オペラもたくさん聴いた。
娘が当時日本人女性のバレリーナーにバレーを習っていたせいもあり、本場のバレーを何度も観る機会を得た。
本物のオペラ歌手に歌を習ってみたこともある。
そこでつくづく思ったのは、私の場合、西洋のものは私には到底かなわないと感じた。
もちろん、西洋人と同じようにできる人もいるかもしれない。
しかし、彼らは言う、日本人と西洋人とはどこか違うと。
リズムのとり方も含めて表現など。
反対に、西洋人に日本の歌舞伎を日本人の歌舞伎役者のようにできるか?
着物を日本人のようにぴったりと粋に着られるか?
着物を着た西洋人は、日本人にはどこか違和感を感じるだろう。
私はフランスで耳から語学を覚えると言う、トマティスメソッドを何か月が試したことがある。
言葉というのは、音楽も同じで、その土地の風の音や季節や温度などから生まれているという。
つまり、私たちの日本語は日本の土地で生まれたもの、他の国の人にすぐに話すことは難しい。
それと同じで、英語もまた英語が生まれたところにいる方が自然に学びやすい。
娘たちのように小さい頃に英語やフランス語の教育を受け、その中に浸れば何カ国も話せるようになる。
ちなみに、次女は英語脳があるので、考えは英語脳で考えている様子、反対に長女は小学校は日本の教育を受けているので、日本語が主になっている様子。
それでも、ふたりともいろんな言葉を習得している。
話しはそれたが、私は何を言いたいのか?
つまり、当時日本人は何でも西洋のものを追い求めたということだ。
旅はパリだロンドンだ、映画はハリウッドだ、ファッションは・・・だとマスコミははやし立てていた。
これを個人のこととして説明すると、
もう今はそういう誰かの、憧れの何かを追い求める時代ではないということを強く感じる。
風の時代、、、自分の時代が来たということ。
憧れて追い求めた結果、それは、自分のものには決してならなかった。
あの必死に習ったベルカントの発声はなんだったのか?
あれ以来何十年も歌うこともなく、声が出なくなった私は、自分の建て替え立て直しでボイストレーニングを受けたが、そこで、地声こそ日本人の心に響くというのを知った。
私はきれいな声を出すように裏声で歌っていたなんて、、、我に返ると、なんだ自分らしい声を出すことがこんなに心地よいなんて、日本人としての自分らしさをあらためて思い知った。
日本の地にいる自分の良さも感じ始めている。
もちろん、もしあなたがどこにいてもそこが自分の居心地の良い場であるならそれはそれで安心だろう。
私は自分を再生しながら、やっとここ(自分の身体)に居ていいんだと思うようになった。
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