母親のいわくの私が彼女のお腹にいた時、6~8か月あたりで破水し、医者にこの子の命は危ないと言われ見放されたと言う。
しかし、お産婆さんはこの子は心音がしっかりしているから大丈夫だと言って産むように励ましてくれた。
このお産婆さんは私の命の恩人である。
お産婆さんの言う通り、私は10か月の産み月まで羊水がない中を生き続け生まれたのだ。
そこから、30年以上経ち、私は幼い娘たちを連れて家族でヨーロッパに住むことになった。
初めての滞在国、オランダ・アムステルダムであるカナダ人女性と運命的に出会い、不思議な縁から心理療法を受けた。
その時、私は母親の胎内での記憶を思い出した。
当時19歳の母は自分の能力を超えて親になり長男を育てていたが、義理の祖母は幼い嫁を見ていられないと母から息子を取り上げ、義祖母の部屋で母親が近づけないように隔離状態にして溺愛し育てていた。
精神的に不安定な母はすぐに私を妊娠したこともあり、義祖母にとったら母のお腹も目立ってきたので手伝ってやっているという思いだったかもしれない。
しかし、義祖母は後妻のため子どもを産んだことも育てたこともなかったゆえに私の兄である長男にまるで自分の息子だというような錯覚した異常な愛を込めて接していた。
私の父は5歳の時に実家に養子に来たせいか、自分の意見は義理の両親にはなにも言わないで遠慮していた。
よって、義祖母は好き勝手に振舞っていたのだ。
20歳になった母は精神不安定で息子も取られ、さらに、義理父が会社を立ち上げたことで集団就職でやってきた子どものような従業員さんの食事や身の回りの世話でものすごく忙しかった。
彼女は私を産みたくなかったのだ。
だから、自らを破水させた。
もちろん、これは無意識である。
母のお腹にいた私はこのことから、自分を(閉じ込め不自由にさせる)という制限をかけて、そこから生き延びるという私の人生のパターンが出来上がったのを知った。
これが60歳を過ぎて今までずーっと続いているのに驚く。
もういい加減にせい!と自分に思うが、何しろ、この自分への虐待があまりにも無意識で自然になっていることが悲しい。
ここから抜けるには、自分が毎瞬意識していくしかない。
♥最近は重く権威があるような場・人がいるとわかったらすぐrに離れるようにしている。
しかし、何と言っても私自身がそうならないようにしたい。
自他に厳しくない私になること。
この自虐のパターンの解消は、風の時代に入り、いろいろな人にも起こっているかもしれない。
地の時代ならば、我慢したような、押し殺したような生き方も、美徳なのかもしれないが、もう、、、、終わったのだ。
面白いことに、
今、私の体は再生中なので栄養から姿勢から、、、声の出し方(ボイトレ)も学んでいるが、このボイトレはものすごくそれを表してる。
私は20代の前半は小学校の音楽教師をしていた。
学生の頃はクラッシック音楽を学び声楽を習っていた。
その後、ずーっと歌うことをしなかったが、自分の歌い方にまったく疑問を持っていなかった。
しかし、風の時代に入り本当の自分を思い出すことになり、アーティスト気質の私は自分を表現したくなり声を使いたくなったためにボイトレを受けることにした。
これがすごい展開で、、、自分の声がいかに抑えて制限して出していたことを知った。
おそらく、日本人の女性はこういう自分を抑えて、自分を制限している傾向にあると思う。
あなたは自分を制限したり、自分を抑えつけていませんか。
女性はもっと女らしくしろとか、生意気だとか言われながら強制されて大きくなっている人も少なくない。
男性もまた、厳しい家族の中で育ったならば、おおらかな人生にはなりにくいだろう。
さあ、もう私たちは解放されていく時が来ている。
これからは自分を生きないとどんどん生きにくくなるだろう。
今までとは反対の生き方が始まるとしたら、あなたはもうすでに本来の自分を生きていますか?
もし、自分を抑えているなら、何らかの方法で解放させることをお勧めしたい。
★今後、こういう話をゆっくり動画に上げていこうと思います。
よろしくお願いいたします。
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