地の時代は自分勝手だ、わがままだと言われたことが

風の時代には自分軸であれ自分らしくあれと言われる。

 

地の時代は、

会社や学校、地域など集団の中で孤立しないようにできるだけ異を唱えず自分を周りに合わせて生きることが常識ある人のあり方であった。

風の時代は、

自分の能力や個性を活かし自分軸を大事にし無理をしないで気の合う仲間と助け合って生きていくことが求められていく。

大きな企業・会社に勤めることがすごいことだと考えない人や考え方が合わない人とは無理してつき合わなくてもよいと思っている人は自分らしさや自分軸を大事に生きていく。

 

我が道を行く、自分らしく、自分軸で生きていく・・・ということは頭で理解できても、何十年と組織や集団の中でできるだけ波風立てずに周りに合わせ自分を抑えて生きてきた人にとっては容易に変えられることではない。

まあ、これは習慣なので意識して変化させていけば、古い頭人も変化させられるのかもしれない。

しかし、柔軟にこの変化を受け入れ、自分のあり方を「あえて」意識していかないと石のように凝り固まっている中年以降の人にとっては難しいことかもしれない。

 

私は個であるより日本の和を重んじる精神、さらに男性を上にして立てるような風潮の中育ち、30代~40代の時、自由に自分を表現しているヨーロッパの中に放り込まれ、日本に帰る頃には、そうは思いません、NOと言うことに違和感がなくなっていた。

13年ぶりに日本に帰り、東京に住んだ時、私の言い方が偉そうに聞こえたのか近所に住む長年元教師という着物姿の70代の毅然とした女性に私の話し方についてやんわりと嫌味を言われたくらい、日本の人特に年配

の女性には顰蹙を買う。

また、今でも日本の男性の中に、生意気な女性より自己主張しないおとなしく、、、しかも若い女性を好む傾向があり、こどもっぽい女性が好まれる。

 

まあ、私すればそれも地の時代のあり方である。

また、このブログを読んでいる人たちは風の時代の住人に間違いない。

よって、私たちはあえて意識し、この古くから洗脳されている「周りに合わせないと生きられない」という強迫観念を手放すことにしたい。

私たちの中に「はっきり嫌だ、NOと言うと、孤立してしまう」という強い恐怖がある。

私の中にもまだまだある。

手放したと思っても・・・まだ自分に中にあるのを発見する。

ひとつひとつ、意識して、手放していくことしかない。

 

そのNOと言えない場とは、、、上下の人間関係のある職場や学校、友達、身内、親せき。おけいこやお教室も含め、どこにでもある。

さて、あなたの周りで、上下の人間関係があるところにありますか?

その場であなたは我慢していませんか?

あなたが嫌な時、それを、NOと言えますか?