本来の自分に戻るには自分への虐待に気づく

私は普通の世間話ができない。

私の母親は誰とでも平気で他愛のない話を長々する。

テレビの話や中身のない話や人のうわさ話などをする。

親子でも彼らを反面教師にしてきたので価値観が真反対である。

柔軟で斬新な考えが好きな私は何も変えたくない実家と常に衝突してきた。

家族の中で私は常に孤立していた。

それにより家族に何か問題が起きるたびに、一言多い悪い私が悪いことになったり、責任をなすりつけられたりした。

成人しても「私は周りの人に嫌われる存在である」という強迫観念を持っていた。

 

人はこのように子どもの頃のネガティブパターンを大人になってからも外の世界に投影していく。

これを人生において悲劇のドラマとして作っていくのだ。

 

私の場合、うまくいかないことが続くと、私が悪かったと思い、その責任を体で負うというパターンを持っていることに最近気づいた。

人は自分が悪いと思うと、病になったり事故を起こしたりするのだ。

 

そして、私の病は、、、自分が悪いと責任を取った形であるが、、、その深層は親への仕返しである。

それはわかっていながら、この辛かった想いをなかなか手放せない。

さらに、弟が亡くなったことで、繊細で几帳面な性格ゆえに結婚も恋愛もしなかったのは、鈍感で残酷な母親の犠牲になったのではないかと思うと母親への怒りは増す。

 

しかし、このまま憎しみを持っているわけにはいかない。

そんなことをしたら大きく言えば、人類の戦争は永遠にはなくならないからだ。

しかも、地の時代は終わっている。

人類みなが気持ちよく風の時代を生きるためには、私ができることはこの自虐的で間接的な仕返しを認め平和へと治めていくことだと思っている。

 

もともと私の憎しみは母を思うがゆえのものである。

そこには、私の愛があったのを思い出した・・・。