風の時代、私たちは自分を救済していくしか道はない

これからあなたが新しい風の時代をさわやかに生き抜くには、外の世界にあるみんなと同じような情報や誰か強い人の話を鵜呑みにしない方がいい。

 

今までの地の時代は権力者や成功者の話を聞いて動いていけば安心するような世界だった。

ユーチューブにおいてこうすれば簡単に大金が儲かる的な動画はたくさんある。

しかし、これからの時代において大金を儲けることが果たして人生を生きる喜びや目的になるのだろうか?

たくさんお金を儲けることは楽しいことであるが、それが目的になるとそれは楽しくなる。

 

地の時代に求められた家や高収入、常識や肩書などの形ではなく、それより、いかに見えないものを大切にして居心地良く生きていかれるかの方が主流になっていくと思う。

実際に今の流れは、家という形を持たない人やコロナによりリモートワークが進み一つのところに定住しないで好きなところに住んで仕事する人など増えてきている。

 

私はものを持たない主義であるが、同じところに9年も住んでいるので、気づくといろいろな物が増えている。

なんといっても困るのは、同じところ住み続けるとコンフォートゾーンが出来上がり、そこから出たくなくなることだ。

私は病になったことで食事制限をしているため、それを言い訳に引っ越しをためらってしまう。

また、60後半になっているのでよけいにハードルを高くしてしまっている。

それもいいわけである。

この先の人生何があるかわからない。

いつ死ぬかもわからない。

結婚をするかもしれないし、多額の遺産を受け継ぐかもしれない・・・

といつも奇跡を感じながら私は生きている。

年齢で区切ったり、性別で区切ったり、稼ぎで人を分けたりしても、、、結局、自分が自分をどう思うだ。

人生はすべて自分の解釈次第だと思っている。

道端で死んでもそれもいい、何かの事故で死んでもそれもしかたのないこと。

人は最期はどうなるか誰にもわからない。

 

だからこそ、今なのだ。

今、私はどう生きたい?と問う。

ここまで生きて来ると、私の場合、貯金が後いくらとか、家があるないとか、有名なれたか成功したかどうか、頼れる人がいるかどうかなんて何もあてにならないと学んでる。

それより、私は亡き弟をどだけど愛していたか?が大事なことになる。

彼に愛されなくても私の想いの方が大事なのだ。

子どもの頃父親や母親に嫌われても義祖母に罵倒されても、私は彼らを好きだったことを知っている。

ただし、彼らをたくさん愛そうとは思わない。

嫌いな人は嫌いでもいい。

しかし、愛したいならたくさん愛していい。

相手から愛されなくてもいい。

 

相手からより自分が相手をこんなに好き、こんなに愛を感じているかを知ることは生きた心の財産になる。

それは、ものすごく暖かく優しい気持ちになる。

できるなら私は死ぬまで、、、人を愛したい。

 

今までの世界は、人を競争させ権力を争わせもっともっと上へを目指すように仕向け、そのことで怒りやねたみ。嫉妬や恨みという気持ちを味わせられてきた。

人を脅しまくり物を買わせて浮かれさせ、時には上に行く者目立つ者を蹴落としたりして楽しむような世界だった。

そんな時代に洗脳され刷り込まれ、下僕に慣れている私たちの感覚は風の時代には合わない。

地の時代は私にとって闇の時代だ。

 

さてさて、我々はこの感覚をどうやって修正していくのだろうか?

それが急務の課題となっていくだろうと思っている。

この課題をこなさない人たちは風の時代に生きるには難しくなっていくだろう。

 

執着を持たないでさわやかに生きる風の時代、風はどんどん後ろから私たちをあおり、古い世界からの脱却を促している!

人と共存共栄して助け合い、励まし合って、愛し合っていきたいな。

これこそ光の世界、、、それは理想でもいいのだ。

心の財産を持つためには。。。

それには、まずは自己救済だ!