突然、最愛の弟が逝ってしまった

私に最悪の事態が起こった。

私の方が弟より先に逝くことになっていたのに、、、。

悲報を聞き、どか~んとライフルで撃たれたように動けなくなった。

急死だった。

 

このブログを書くには、まだまだ感情的になってしまうが、

今の気持ちを吐露することが、亡き弟と私自身のために書きたいと思う。

 

清貧を貫いて生きていた彼はもういない、その代わり、私は心で彼に語りかけている。

亡くなってから日にちが浅いせいか、札幌の私の部屋に時々彼の気配を感じる。

顔が見えるくらいに感じるのだ。

彼は名古屋で生まれ、実家と同じ区にずーっと一人で暮らしていた。

彼にすれば、姉の私は日本から離れ海外で暮らしたり名古屋に帰らず、東京や札幌と生活の場をどんどんと変えている。

彼は私がどんな生活をしているか興味があるのかもしれない。

 

愛おしい弟よ

サヨナラもなくあっという間に逝ってしまった。

みごとなくらい。

人があっさり死ぬことは私にとってなかなかの理想であるが、

彼ともう話せないと思うととてもせつない。

たとえ短い命を嘆いたとしても、

彼があっぱれな人生を送ったことを私は知っている。

独身を貫いた彼には悲しませる家族はいない。

それがせめてもの救いだ。

 

弟はいなくなり私は姉ではなくなった。

これで互いの役目は終わった。

彼は私が4歳の時に生まれた。

彼は母親から溺愛されたが、それ以来、義祖母から私への執拗ないじめが始まった。

私は可愛がられる弟に嫉妬していた。

この年になるまでそのしこりを持っていた。

そのしこりが彼の死により突然消えた。

なぜなら、私は生まれる前に弟と約束してきたことを思い出したからだ。

以下を読む人がそんなことあるのか?といぶかるかもしれない。

妄想と思う人もいるかもしれないが、私が実際に感じていることである。

 

♥私たちの約束

信仰深い亡き弟とは、僧侶仲間(イタリア)であったことを思い出した。

精神的なブラザーの関係だった。

私たちはお互いに魂を成長させていく仲であった。

今生、弟が生まれることで、私が義祖母や母親からいじめに合うのがわかっていて、私が嫉妬や男女差別を学べるよう手伝ってもらったのだ。

それは私たちの魂の学びのためだった。

いかに人に嫉妬するか、いかに男尊女卑を体験するか、これを互いに取り決めて生まれて来たのだ。

それがわかった時、私は彼へのわだかまりを解放した。

 

弟は今生、みごとに僧侶っぽく絶対に上を目指さなかった。

宗教を学び謙虚さと清貧を忘れなかった。

常に表には出ようとしなかった。

家も家族も持たなかった。

人に持ち上げられても乗らず、たくさんのチャンスを見逃した。

あまりにもったいないと私は嘆いたが、それが彼の生きるスタイルだった。

彼は造園という肉体労働を長くやっていた。

日焼けした顔でがっちりした体型をして、手も驚くほど大きく頑丈だった。

それなのに彼の体は蝕まれていたのだ。

誰にも体の不調を言うこともなく、親や兄姉を心配させないように黙っていたのだ。 

(ここに至った原因があるが、それを話せば辛すぎる。これはもっと後に伝えたい)

 

この世に成功を追い求める人がたくさんいる。

それが私たちが生きた時代である。

成功すること、勝つこと、人より持つことがかっこいいこと、良いことだと。

誰もがそういう人をほめたたえる。

 

しかし、弟はそれとはまったく正反対だった。

弟のような生き方はなかなかできるものではない。

 

長生きが良いことだ、、、と思っている人は早く死ぬことが良くないように言い、彼をかわいそうにと言うだろう。

しかし、人生は質だと思いたい。

いかに生きるかだ。

私の場合、快楽だけで生きていてもちっとも楽しめない。

こうして大事な人の死を前にすると、人の成功不成功なんてどうでもいいように思える。

お金を稼げなくても偉くなくても家族や家がなくても、そんなことはどうでもよくなる。

その人がその人のあり方を貫きたいならそれでいいのだ。 

早く死のうが長く生きようがどちらでもいいことだ。

私にとって愛おしい彼の存在そのもが大事だった。

それが今痛いほどよくわかる。

今、ほっとしてニコニコ笑っている彼を感じる。

弟よ、本当にお疲れ様でした。

残された私はもう少しこの世でやりたいこと(5次元世界をこの世に降ろし自分の生きざまを人に見せていく)をしていきますね。

あなたから学んだように、ただただ私なりに生きていこう!