昨年末から、古い自分と新しい自分がひとつひとつ入れ替わっている。
まずは、自分の形(境界線)作りを始めている。
自他の境界線がなかった私は自分の人生だけでなく、親・兄弟・娘たち・古いクライアントたちの人生を、すべて自分のこととして生きてきた。
たくさんの人の人生をで身体に取り入れていたのだ。
あまりに幼い時から、そのことに慣れていたために、私の自分の人生がどんどん重くなっていることに気づかなかった。
巫女体質の人は電車で隣になった人の念(エネルギー)が強い場合はマイナスの影響を受けることがある。
私は人のエネルギーに対して敏感で、幼い頃からの癖で、身近な人のことが自分のことと区別できない状態にあった。
これについては気づいてはいたが、
こんなにひどいとは、、、昨年末病を診断されて、やっと納得して落ち込んだ。
しかし、これは私の使命というか生まれ持った敏感体質上それは仕方のないことでもあると思った。
また、自分の人生を大切な人たちより優先させることに抵抗もあったために、自分の身体を守り切れなかった。
情けないことであるが、、、それくらいでないと、私は自分のことに集中できなかったのだ。
時代が大きく変化している今、私はやっとはっきりと目覚めたのだ。
今まで私は何をしていたのだろうか?
特にこの9年間札幌でいったい何をしていたのだろうか?
と思うくらいうつうつとし
ある人に、マイナスエネルギーがたくさんとりついていると言われたが、
カルマの総決算であるために、思い切り向き合ったと思っている。
闇も悪も進化のためにはみな必要な要素である。
清濁あわせ持つという人生の方が奥深い。
さて、自分の境界を作り始めると、私の言動が変化している。
今まで成り立っていた人間関係は崩れてきている。
今までなら嫌でもOKだったことが、もう我慢できない。
はっきりと嫌だと言ったり、NOを言うことになる。
そうなると相手とはギクシャクした関係になり、どうでもいい相手とは距離を置くことになる。
また、新しいこともトライしたくなる。
いろんなことが変えたくなる。
(新しいチャレンジも始まっている!)
特に身内との関係ははっきりと表れる。
私の場合、自分の実家との関係が近く、それについて嫌であったが、どうにも離れられずイライラしていた。
実家との問題を昨年全部のやりきったことで、もう思い残すこともなく、何の未練もなくなった。
難と思われようと、もうどうでもいいくらいになった。
そうなると、嫌な相手にはっきりとNOと言えるようになった。
義理人情についても、私には理解できないし、育ててやったとか、親の恩を忘れたかと言われても納得できない。
60過ぎて・・・常識がないと言われてもいいのだ。
縁を切られたとしても、それがある意味、魂としては「自立」となる。
親子兄弟姉妹でも魂の上では上下の関係はない。
自分の境界をもってこそ、周りの人を尊重できる。
ある意味、私は周りのことで揺るがなくなっている。
同情や哀れみさえ必要ない。
たとえ親でも、その人の人生はその人にとってのかけがえのないものだから・・・私は何も言う権利はない。
未熟にも精神世界を学んできているから私の方が正しいと思ってきたが、
私から見て、良くないことだしても本人が良いならいいのだ。
これはクライアントから学んだことである。
その人とって良いものが、私にはおぞましく見え受け入れられないことでも、
それは、その人の好みであることなんだと深く知った。
今思うと、辛い9年間で病こそなったが、このことこそ「自分の人生を生き始めるきっかけ」となったのである。
人生に無駄はない。
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