普通に力を抜いて生きることが、今までなかなかできないできた。
今の教育がそうかどうかわからないが、私の育った時代昭和30・40年代の教育はとにかくがんばることが求められた。
いつも人より努力すること。
女性は男性より劣るからと余計に頑張ること。
常に周りと競争をして生きてきた。
特に私は周りと変わっていたから目立たないように気をつけていた。
しかし、そのことがかえってよけいに墓穴を掘り失敗して目立ってしまうことが多々あった。
よって、恥をかかないように細心の注意を払っていた。
身体を常に緊張させて周りの人に気を使っていたのだ。
また、瞑想などスピリチュアルなことを学ぶうちもともとあった敏感さからサイキック能力が増し、
より人の念を感じるようになっていった。
しかし、人の心を読んでも、まったく楽しくない。
なぜなら、ほとんどの人の心はネガティブで暗くて重いからだ。
そのエネルギーを読むのをやめたくても、見た人、隣に来た人、すべての情報が入ってくる。
何といっても私は周りの人との境界線をもって生まれてこなかったことが悔やまれる。
昨年末病になる前に、、、自分の人生だけでなく、母親の人生やと周りの人の人生を生きてきたことを知った。
なんでこんなに母親や人のことが気になるのか???
ものすごく悩んだが、今思えば自分と周りの人との境界線がなかったからだ。
そのために、いろんな人のネガティブな想念や生霊・闇の存在が体にとりついていたのだ。
私は疲弊していた。
しかし、昨年すべてを終わらせたいと、周りを許すことにして手放した。
そのすべてのやり残しが終わった後、、、私はやっとハイヤーセルフの言葉を受け入れた。
病院に行きなさいと強く勧めていたからです。
(ハイヤーセルフの声に従い)すすめられた眼科に行き、そこから、内科の診断を受けた。
そこから、大変なことになっている自分にやっと気づいた。
馬鹿みたいなのだが、長く自分の人生を生きてこなかったのだ。
今は猛烈に自分のことに集中していることは、このブログに書いている。
病やアクシデントは自分への大きな気づきを教えてくれる。
ここから私が学んでいることは、
私は外の世界(があると思って)に外に向かって、力を入れすぎて、頑張りすぎていたということだ。
自分の外の世界で見える良くないことは自分のせいだと無意識で思い込んでいた。
今まで自分を我慢させて虐待していたということ(我慢は美徳?と言う教育、、、これはたくさんの日本人がやっている間違いだと思う)
人の意識が大きく変化している今、私たちはもうそろそろ「自分を愛すること」をはじめていかないと、時代に乗り遅れていくことになる。
わがままというより、自分を思い切り生きることこそ愛なのだから。
♥今まで地に落ちて根底から這い上がるようなことを何度も体験してきました。
この尊い学びをいかして、
「新しい次元の歩み方」・「新しい次元の大人の作り方」講義・講演をひとり芝居から始めようと思います。