②避けられない不都合なことが起こった時

続き:悲しみや苦しみからの立ち上がり方、私の場合

 

人生にはどうにもならないことが何度か訪れるものである。

どうにこうにもならなくなった時に私がやって効果があったことは、、、

この大変なことから「魂」は私に何に気づいてほしいのか?にフォーカスすること。

私の場合は、瞑想しながら自分に問う。

ミサエはここから何が学びたいのか?

例えば、娘の大きな事故の時は、本当に心底、娘の存在そのもの(命)が私にとって、どんなにかけがえなのないものであるか、

娘がいなくなるとはどんなことか、

どんな人も死ぬことは生きることのすぐ後ろにあるものだということ。

 

娘がどんなに素晴らしい存在だったか、当時、元夫とかなり心が離れていたこともあり、そのことで彼女は心を痛めていたのかもしれないと思い、私は罪意識にさいなまれ眠れない日々を送っていた。

そんなどうにもならない中、手術を受けた娘の病院に行くほんの少し呆然としている私にふと声が聞こえたのだ。

それは、はっきりと私の耳元でこう言ったのだ。

「ミサエよ、もうこれ以上の底はない・・・のだから」

これ以上悪いことはないから安心しなさいと言われたのだ。

この言葉で私は心底救われた。

なぜふいに聞こえたのだろうか???

しかし、はっきりと耳元で聞こえたのだ。

魂(ハイヤーセルフ)・天使の声なのか、とにかく、そこから私は少しずつ前に進むことができた。

海外に居て元夫とはわかりあえない、私の本音を誰にも話せない相談できない中、この声は私を根底から支えてくれた。

 

余談であるが、私の場合、幼い頃から弱音や愚痴をなかなか人に言えないで育っているために、

見えない存在に頼るようになっているのかもしれない。

今住んでいる近くのすてきな公園を散歩している時、夕方で人がいない中、木々たちが語りかけてくれる、それもリアルに感じる。

私一人のせいか彼らは優しくて頼もしくて大丈夫だよというエネルギーを出している。

それに触れると私はとても元気になる。

この年齢になってもますますこの感覚は研ぎ澄まされている。

 

さて、私の学びは、娘はどんなに大切な存在か、愛を知らないで育った私はここから愛を学ぶことができた。

まあ、愛を学んだのはこの事故だけでなく、二人の娘が生まれた時から今でも学んでいる。

しかし、そろそろ私は男性への愛を学ぶ段階に来ていることを感じているので、人生のパートナーが現れてくると信じている。

やっと、、、男性性とのバランスを取り始めるのだ!

 

今回の病からの学びは

私は無意識に自分の命を終えようとしていたこと。

ある意味、最後は無意識に自分が悪いから人の負を引き受け罰を受けるという(=復讐)という未熟なことをしていと気づいた。

私の見解では、子どもは無意識に親の負を自分が悪いと感じているもの。

だから無意識に自ら病にかかったりする。

今までのピラミッド状の上下の人間関係は、どうしても奴隷意識が蔓延する。

自分さえよければという人に支配された下の人は「お前が悪いと洗脳されている」と言っても過言ではない。

古いタイプで、威張り腐っている父親(会社では感じのいい人を演じている)がいる家庭の子どもは一番犠牲になりやすい。

 

とにかく、今は自分を優先させたっぷりケアをしている。

自分を愛することが人生の大きなテーマである。

魂は、、、外の世界には何もない、ただただ自己救済しなさいと言う。

 

まあ、これは私の体験だけのことです。

もし、よろしければ参考にしてくださいね。