自分の人生はずーっと安泰でありたい。
しかし、実際それとは裏腹に人生にはいろんな不都合なことが起きる。
不都合な方が多いかもしれない。
そんな中でも自分を打ちのめしてしまうほどの辛いこと起こったりする。
私の中の最大の悲劇は二つあるとしたら、
その一つは、1995年家族とフランス人のクリスタルヒーラーの友人たちと、夏の休暇にフランスのシャモニーのある山に登った時、長女当時16歳が山から40メートル下の川の流れる谷底に滑落したこと。
谷底に落ちた娘に半狂乱で叫び、死んだかも思い、もう神を絶対に信じないとののしったのを今でも鮮明に覚えている。
滞在しているビラのオーナーが石を採掘し集めている人で、その山はクリスタルが採れるというところだった。
その登山前の朝、私は瞑想を3時間もやっていた。
なぜかというとものすごく胸騒ぎがしたからである。
あんなに、神にお願いしたのに、、、
しかし、今思えば、このことは避けがたいことだったと今は思える。
娘はヘリコプターで運ばれ、5分の4も血液を変え、2度の大きな手術を受け、
集中治療室で1週間、パリに戻ってから再入院、車いすから歩けるまで、泣けて泣けてしまう日々を送った。
しかし、神を完全否定した私なのに、逆にものすごく不思議なことや神秘的なことがたくさん起こった。
長女は無事に大人になり、現在はサルサを教えたりやヨガを教えたりできるくらいの奇跡的な回復をしたこと。
さらに、ヘリコプターからパリへの搬送、2回の手術など、信じられないくらい高額の医療費がすべて保険でまかなわれたこと。
元夫がフランスで会社の責任者だったために、一番高い保険をかけてくれていたのだ。
(このことから、長女が生還した喜びと共に感謝の心から寄付という形でお世話になった関係者にお渡しさせていただきました)
もう一つは、私が昨年末の12月22日に深刻な病にかかっていると診断されたことである。
(この件についてはブログでも語っているのでここでは省略させていただきます)
他にも細かいところを上げればきりがないくらい嫌なことを乗り越えてきてきたが、
この2件は耐えることになれていた私もさすがまいってしまった。
この頃、思うに大変なことは全部こみで魂は体験したいということ。
自分が生きている間に魂は体験したいことをさせているといえる。
自分がどんなに神に頼んでも、どんなにあがいても人生には失敗も成功もあるし、
うまくいかないことが起こると、逆に奇跡的にうまくいくことも起こると今は受け入れている。
そして、物事はすべて表裏一体だということも理解している。
望む現実を作る、願望現実というのは、、、
とにかく起こることになっているから、起こるということなのかもしれない。
また、起こらないことは魂としては体験する必要がないから起こらないのではないかと思える。
どんなにたくさん神社で祈っても起こることは起こるように思う。
しかし、大難を小難にするかもしれないので、祈ることは大切なことだと思ってもいる。
つまり、自分の人生に起こる厄介ごとを否定して自分や相手も責めてもいいかもしれないが、その反面の何か良いこともあるということ。
そうなら、良い面に目を向けていく方が救われる。
私が娘の滑落が起こった時、
ふいに口から出た言葉、、、「すべては良いことのためにある」
これをどん底の私は泣きながら叫んだ。
何度も何度も。
さて、今苦しんでいるあなたよ!
どんな時も、すべては良いことのためにある。。。んだから大丈夫♥
そして、何と言っても、、、ここから立ち上がるにはどうしたらいいか?
それは、長くなりましたので、次のブログで語らせていただきます。
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