アセンション物語 先祖って何だろう

私は幼い頃から、家族や親せきの人たちには理解されなかった。

お転婆でうるさい娘に見えていたのかもしれない。 

私の言っていることが的を得ていても、父親はいつも「馬鹿言うな」と私のいうことを完全否定した。

 

父親は、~そうだねえ、そういうことがあるかもしれないね~という余裕のある言葉が出せない。

ほめたら損だ、みたいな。

今の私は子どもはほめて育て、また、はっきりとした自分の考え(間違ってもいいから)を示しで子育てをするのがいいと思っている。

 

ヨーロッパで育った娘たちはほめられるのは普通のことであった。

とにかく、よいところを探してでもほめてくれる。

日本教育はあまり褒めることをやっていないようである。

私自身も日本の教育を受けてきたくらいだから、ヨーロッパに渡った時、ものすごく褒めてもらうことに驚いた。

欧米人は、基本的に自分への自信やプライドの質は日本で育っている人に比べてかなり高いと思う。

新入社員は会社では褒めてもらえない。

自信がなくなるほどに落とされたりする。

私は両方を見て来て、人は何一つでもほめられる方が良いと思っている。

自分でも気づかないところをほめてくれる。

 

さあ、今日も誰かをほめてみませんか。

 

話は大いにそれたが、先祖のことを話したい。

つまり、自分の身内は、先祖か?という疑問である。

私の育った実家は、血縁関係はない。

父親が養子であったし、義理の祖母は2人であった。

まして、 父親が亡くなって仏壇が亡くなり、神道になった。

まずます、先祖というものがわからなくなった。

 

こうなると、父親のように、血縁と言っても、どこかで混ざっている。

ヨーロッパのテレビか何かで、知らない人なのにDNAをたどると、国籍も人種も違う人と繋がっているということだった。

私たちは、元をたどるとアフリカ人らしい。

つまり、人類は見な繋がっていることになる。

 

そう考えると、私は否定的な自分の血縁関係や身内について、悩むのが馬鹿馬鹿しくなった。

 

あ~先祖なんて、そんな狭い枠組みなんて、どうでもいいことだ。

もう人類愛でいいんだ。

過去は、どうでもいいのだ。

みんな繋がっているんだから。

人類みな兄弟だ。

私たちはいよいよそんな人類愛に目覚めていく時代を迎えている。

助け合い、仲良くしていける時代がやっと到来してきているのだ。