アセンション物語 私の統合やり方

私が今まで世間で言われている統合のやり方について疑問があった。

 

統合するというのは、いらなくなったものを捨てるとか・・・。

 

それだと、古臭くていらないものを捨てる、すると、よりその否定なものに引っ張られるという体験をしたからだ。

光の反対の闇を受け入れてこその、統合があるのではないか。

闇と光、古いものと新しいもの、病(不健康)と健康という、、、相反するものどちらもOKにした時、統合できるのではないか。

これは、私の場合のみかもしれないが。

 

長くスピリチュアルを学び、私はいつしか権力闘争社会に抵抗し否定してきた。

それによりかえって、その世界にとどまることになった。

まるで、光だけでは不十分だ、闇はどうなる?と言われていたかのように、この9年間闇と心底向き合っていた。

それらは私の反面でもあった。

スピリチュアルでは光の存在という言葉をよく使う。

私も進化したい輝きたいとやってきたが闇から逃げることはできなかった。

そして、2019年にはもう飽きた、白旗だ、やめたいと切に願っていたが、

私の中で苦労して長く権力闘争社会で培ったサバイバル的なあり方を、なかなか手放すことができなかった。

いくら学んで闇を諭しても、闇はそうやって成り立っているから、勝てわけがない。

私はいろんな人の中にある闇ばかり見ていたかもしれない。

 

宇宙由来の魂たちは、人の中のネガティブに敏感に反応するという仕組みになっているから、見たくなくても、見えてしまうのである。

意図しないでも、人の闇を私はあぶり出してしまっていた。

 

さて、ここからわかったのは、古い時代のものも、新しい時代のものも、どちらもOKということ、

その時代に闇も光も必要だったということ、

どちらも深く学ぶことで、はじめて統合へと進む。

私はどちらも否定しなくていいと学んでいる。

どちらも受け入れていく。

どちらとも和解をして。

 

これは病になってわかったことだが、

健康が一番いい、健康こそ大事、だから、病にかかった人は良くない、罪人のように暗黙に言う。

私は健康だったから気づかなかった。

だからなんとしても治さないと、完璧にと息巻いていた。

また、私は悪い人なんだ、何か悪いことをしたから病になった、、、こんなにまじめにスピリチュアル道をやってきたのにと自分を責め続けた。

 

そして、ふと、、、病になった人が悪いって、誰が決めたのだろう?

何の罪?

 

結婚できない人や離婚した人は悪い人?

誰が決めたのだろう。

 

良い悪い、これはこの3次元のネガティブワールドの考え方だ。

 

どちらでもいいのに。

その人のオリジナルな体験をしているだけとしたら、

 

私の場合の病は誰かに優しくされたいから、、、そうなんです。

つまり、私は自分に人にもきびしくしていた魂の成長のために、、、

自分に甘く優しくしていなかったのだ。

さらに、人のことを面倒みることで、自分のことを後回しにしていた。

それがスピリチュアル的に良いことだと思い込んでいた。

どこか不自然なのにという感覚はあったのに。

2018年くらいから気づいていたのに、結果、2020年暮れまで引っ張ったのだ。

 

ひょっとして、立派な神様にならなくてもいいと言われているように、

今のあなたのそのままが美しいよ、

どのでこぼこのあなたが、一番素敵だと言われているように思う。

そうなると、私は深く安堵する。