続きから
そうなんです・・・私は甘えたかったのです。
私は母親に甘えたかった.
誰かに甘えたかった。
しかし、家族の誰一人として味方がいなかった。
私が兄と弟に比べてなんでもそつなくやってしまうから男尊女卑の我が家ではそういう私を嫌がったのです。
私は誰にも甘えられないと4歳で悟り、ぼーっとした子どもでいると危ないから、子どもでいることはやめようと決めました。
その時、その覚悟したのを今でも覚えています。
そこから66歳になるまでずーっとこの強く甘えたいという想いを隠してきたのです。
自分でも気づかないくらいに、気づかないようにしていたのです。
私はここ3年くらいどんどんと痩せていきました。
決して太ってはいません。
私は目の調子がおかしく、どんどん見えにくくなっていて眼科に行くのをためらっていました。
ひとまず12月にやり残している問題をかたずけてからとそれが終わり、内なる声も今行きなさいと強く言っていたので、眼科に行きました。
そこで、まずは白内障という診断を受けました。
しかし、それだけではなく、、、血液検査も受けました。
そして、次の日、、、糖尿病だからと、、、しかも、入院しないといけないくらいの数値だからと、、、内科を紹介されました。
それが、12月22日のグレートコンジャクションの日でした。
私は隠れ糖尿病でした。
この「隠れ」というのが、私が甘えたいという気持ちを4歳から隠していたということが明らかになりました。
この2011札幌に家族を離れ一人で住み始めましたから、本当はとても寂しかったのです。
しかし、私は持ち前の耐える力で耐えていてその気持ちと向き合いませんでした。
つまり、幼い頃から、自分は大丈夫だと思い込ませていたのです。
実は、2011年から2020年11月までの9年間甘いものをむさぼり続けていたのです。
甘えたい気持ちの代わりに。
しかもそれに気づかなかったのです。
どんなに食べても心から満足しないとわかっていてもやめられなかったのです。
白砂糖は麻薬だと言われているのを聞いて本当にそうだと思います。
ましてや私の本年は親に愛されたい、甘えたいのに甘えさせてくれないからあきらめるという強い欲求を抑え込んでいたのですから、それを満たすためには甘いものはその代わりなり、どうしてもやめられないわけです。
娘たちは健康志向の私は糖尿病になるなんて信じられないというくらい、私は健康に気を使っていたのです。
健康オタクくらいに、食べるもの(もちろん白砂糖は買わない)極めて気をつけてきたのにもかかわらず、市販のクッキー、お饅頭、ソフトクリームなど一日にたくさん食べていました。
それがこの決定的な医者の死刑宣告のような診断に、私が隠れて甘いものを食べていたことを言うことになり、改めて、自分のお菓子依存症に気が付いた次第です。
ふしぎなことに、この甘えたかった。。。んだと心の底からわかった時、そこから、甘い食べ物が欲しくなくなったのです。
自分が甘えたかったということをやっと受け入れることができたのです。
4歳からの想い、インナーチャイルドの想いを。
糖尿病のクリニックで栄養士からの私の食べ方を伝えて指導を受けると、見事にこの9年間にどんどん増えていった甘いものをやめたら、私は適切な量を食べていることがわかりました。
今はお菓子を食べたいとは思わなくなり、まったく未練がないのですから、あの闇のような時間はなんだったんだろうと思うくらいです。
なんという自己ヒーリング!だろうか。
しかし、その甘えたい私が気づいてよかったのですが、さらに深く、私のあり方の悪い癖にも気づいたのです。
それは、人のことまで放っておけない私の心の癖。
激しいほどに自分を犠牲にして人のことを世話を焼くというあり方について
書いていきたいと思います。
それは先祖の遺伝と問題でもあります。
それにしても、私の体の隅々まで明るみ出されて検査続きですが、、、、隠していたものはすべて表に出されてしまったことで、かなりショックですが、ある意味すっきりとしました。
また、ある人に言われましたが、私がスピリチュアルのあり方を生きていなかったら、とっくに死んでいたと、それは本当にそう思います。
生きている間に私が魂から決めてきたやることをやらなければいけないと思い、動画を撮り始めました。
また、いよいよ念願の、他人でも考えが似ている人たちと助け合って生きる大人の「いろのみせ」をFacebookページにおいてスタートさせました。
風の時代だからこそ、自分を隠さず正直に生きていくことを念頭に置いて、軽やかに進んでいきます。
続く
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