· 

私のアセンション物語~テレビという道具~

私は1954年(昭和29年)名古屋に生まれた。

家族は義理の祖父母と両親、そして、兄と弟と私の7人家族であった。

祖父と父は鋳物業を営んでいて20人多い時は40人くらいの人が働いていた。

戦後の日本は高度成長真っ盛りで祖父と父の会社も下請けながらなんとか続いていた。

中学校を卒業したての人たちが地方から集団就職で名古屋にもやってきた。

自宅に何人かの男子を預かり寝食を共にしながら働いていた。

当時の日本人はみんな一生懸命に働けばなんとか生活ができる時代であった。

戦後の物のない時代から急速に豊かな時代になっていったために物への執着も生まれていった。

そのような物質主義の日本に育った私はなんといっても「テレビ」は生活の中心になっていた。

何でもそこからの情報が一番であったから日本人の共通の話題など頭の中は一様になっていたのではないかと思う。

テレビは洗脳しやすい道具である。

私は今思うば恐ろしいことに何も考えないでずーっとテレビを観たみて育った。

アメリカのドラマを日本語にしてたくさん流していた。

私は「欧米人・白人はすてき」というあこがれみたいな想いをもっていた。

子どもの私はぼーっとして何も考えないでただただ映像を観続けた。

私は中毒になっていた。

 

おかげで、1986年(32歳)ヨーロッパで暮らした時、白人に対してどんなに深い劣等感があるのかがわかり驚いた。

なぜ、私は自分たちを先にアジア人と言わないのか?

なぜ、私は白人を上に見て自分を下に見てしまうのか?

なぜ、白人は身体すてきで日本人はそれより劣ると思うのか?

なぜ、オランダでもフランスでも白人に日本人の私は馬鹿にされるのか?

(私は白人の日本人への人種偏見に対して敏感に反応していた。白人の言葉より無意識の想いを読んでいた)

 

●白人至上主義

これは13年間に私が実際に感じたことであるので個人的な体験だと思っている。

しかし、今でも世界を見れば白人の黒人への人種差別は問題となっている。

(残念なことにアジア人は黒人より下だと聞いたこともある)

また、日本でも在日や部落差別も同じである。

もちろん私と心が通じた素晴らしいヨーロッパ人がいることも確かである。

私の白人への劣等感はいつごろ出来上がったのだろうか?

知らないうちに私は洗脳されていたのだ、あのテレビに。

●インドネシアの捕虜収容所

オランダ人の友人にイギリス人の彼氏ができて、その父親が話してくれたことは忘れられないものだった。

彼はインドネシアで日本軍の捕虜収容所に入っていたという驚く話をしてくれたのだ。

私が学校で習っていない、まったく知らない話であった。

彼の仲間たちはそのインドネシアの日本軍の収容所で死んでいったというのだ。

しかもこのことを日本人に話すのは初めてだと言った。

彼にとって私は仲間を殺したにっくき日本人である。

彼のエネルギーは怒りに満ちていたから、私は覚悟してそれを受け入れて聞くしかなかった。

人は苦しみを人に話すと心が少しは癒えるもの。

彼は会う前は日本人とお茶などしたくないと言っていたが、結局は会うことになった。

神様の引き合わせである。

別れる時にはこの老人はとても穏やかな雰囲気になっていた。

会って良かったと日本人に対して見方が少しは変化したと言ってくれた。

私はこの事実を知りショックであったが日本の歴史もこんなもんなんだと思った。

教育ってなんだろう、、、教師を少しの期間やっていた私は自分の体験からさもありなんという気持ちになった。

日本の教育ってそんなにすごいことなんだろうか?と思っていたからだ。

 ●洗脳

国や人種が上か下かという洗脳、そこからの戦争、そこからの敗戦。そこからのテレビの洗脳、白人至上主義、人種差別、逆の日本人上位の捕虜収容所の体験談・・・洗脳されていくとこんなに人を不幸に巻き込む。

しみじみ恐ろしいこである。

楽だからとぼーっとして情報を受け入れていると、こうして知らないうちに人は何かの洗脳を受けていくのだ。