執着のテーマが終わったんだ~

小さな子どもは大好きな親に対するが想いが強いので、何でも大げさに見えしまう。

特に両親への想いは強く、なんでも誇張して見る。

母親が何かで泣いていたら、それを見た子どもは自分の世界をすべて涙に変えてしまうくらい悲しむ。

母親が世界で一番かわいそうだと思う。

それがそれほど大したことがないかもしれないのにオーバーに感じてしまう。

私は遅まきながら、この子どもの見え方に気づくのに60年以上もかかった。

母親が無意識に自分を被害者だと信じ込んでいたり、犠牲者だと思っていたりすると厄介である。

母親は世界で一番かわいそうなお母さんとだから私が守らないといけないと本気で思ってきた。

父親は弱い立場だから大変な人生を送っているとも信じていた。

彼には嫌なことをしたり言ったりしないようにしていつも気を使っていた。

 

これは、、、かなりの人が間違って思い込んでいるのではないだろうか?

後に娘たちに対しても、過剰な心配をして後でなんてことはないなんてことは多々ある。

 

お母さんは大変なんだよ、こんなに義祖母にいじめられて。

お父さんはこんなに一所懸命に働いても会社の経営はうまくいかないんだよ。

あ~あなんて両親は大変なんだと子どもの私はそう思い込んで大きくなった。

 

なんといっても私が一番驚いたのは、私があんなに嫌っていた男尊女卑について母親はさほど気にしていなかったことだ。

母はあんなに怒鳴られて、、、かわいそうだ!

なんてひどい男尊女卑の考えか、男だからと兄や弟ばかりひいきされて、私と母親はいつも末席でご飯を食べ、最後のお風呂に入り、トイレ掃除をしていた私である。

女だからダメ、、、と言うのは実家では日常茶飯事であった。

兄や弟より目立っていたことをどれだけ責められたことか。

しかし、両親はそれを何とも思っていなかったのだ。

時が経ち、そんなことあったかなあと涼しい顔をして言う母親にイラっとする。

都合の悪いことは忘れるに限る。

 

さんざんこの怒りと向き合ってきた私はやっとガンジーのように無抵抗非暴力で、、、、白旗を上げことができるようになった。

人はたとえ酷い仕打ちを受けても、その人の感じ方でしかない。

たとえ、血の分けた身内でもである。

サドやマゾやいろんな趣味の人、実にいろいろあるものだ。

 

〈私の学び〉

被害者と加害者と言うのはセットになるので、被害者は加害者を引き寄せる。反対もあり。

この状態がネガティブな人間関係を作る。

これは悲劇に見えるが実はそれを楽しんでいるともいえる。

このどちらの人にも関わらないようにするのが、新しい次元に生きる秘訣である

つまり、アセンションを望むなら自分の中の被害者と加害者の卒業をすることしか方法がない。

私のアセンションは、そんなに浮ついているようなものではなく、また、苦しむこともないという「無の状態・バランスが取れている状態」が大事だと思っている。

どうも私のアセンションは、、、ハイにはならず落ち着いた静かな時間を過ごしている。

それでも、とても面白い時代がきているとほくそ笑んでいる。

 

♥朝方の夢で、エレベータに乗っているが私は裸である。

白いタオル一枚持っているだけ。

ここはホテルなのか私物が置いてある部屋番号がわからない。

私は今まで何回も部屋を変えたからかなあ、とにかく、部屋番号が思い出せない。

裸であるから早くなんとかしたい。

掃除の人もスタッフも、わからないという。

あ~戻れないんだ。

そこで、目が覚めたが・・・そうか、私何も持たずに今裸の状態なんだ。

私は生まれたままなんだ。

過去のことは何も持っていない。

新しい自分になるんだなあ、新しい自分はどんな人になのか?

 

東京から札幌に移住して今年の11月で9年になるが、この地にて「執着」のテーマが終わったんだと実感した。

 

★ミサエハートリーアセンション物語をスタートします。

いずれ本にしたいので、このブログもよろしくお願いします!