まずは上から目線に気づくこと

たとえ理不尽な世界に抵抗して自分の道を貫いている素晴らしい人も、、、自分の上から目線や隠れた差別意識に気づかないと危ない。

実際に社会の問題を鋭く問う某出版社の編集長のセクハラ問題やお金にならなくても良い映画を放映している某映画館の責任者へのパワハラ問題など、仕事は素晴らしいのにその人の下もとで働く人たちへの待遇が問題になっている。

彼らは訴えられたことに対して寝耳に水状態ではないだろうか。

これを受け入れるのに時間がかかるだろう。

 

今までの社会の中で下のものは黙って我慢するというような風潮がまかり通っていたためにセクハラもパワハラも表面にあまり浮上してこなかった。

私が知っている昭和の会社というのは社員は夜遅くまで働くものだ、それが普通の働き方であった。

また、上下人間関係はかなり厳しくルール化されみんなそれに従っていた。

 

よって、昭和・平成の時代の働く意識をかなり意識して変えていかないととんでもないことになってしまう。

上の立場で働く人は自分の中に巣くっている深刻な差別意識があることになかなか気づけない。

彼らは自分は大丈夫だと思っている。

しかし、根底に上下意識や女性蔑視(女性への不満)などあれば、それが気のゆるみでつい口から出る。

他人というのはかなり敏感である。

 

特に中年以降の男性は自分の中の、、、そんなことがパワハラで、そんなたしいたことがないことがセクハラとは思っていないことがある。

また、自分が部下の頃はこんなことは普通だったからと、平気で若い人にも我慢を強いたりするかもしれない。

特に一番困るのは、まだまだ男尊女卑の考えがまかり通っていることだ。

(少なからず日本の男性は真に母親に怒っている。これについてはいつか語りたいと思っている)

 

昭和の時代はセクハラパワハラモラハラ、、、のオンパレードだった。

この私さえ競争社会の中で育ち、自ずと自分と他人を比べるようなところがあった。

しかし、(1986年~1999年)ヨーロッパで暮らして、男性が女性を大事にしているのを何度も目撃し欧米の女性が大切にされているのを見て驚き、そして、女性蔑視を受けてきた私はとても癒された。

その後、日本に帰国して男性への女性蔑視に対する言動がとても気になってしかたなかった。

 

ヨーロッパでは、バスを待っていても隣いたカップルは自分の彼女を先に乗せて、そして、次に私を先にしてくれる。

階段で赤ちゃんが乗るベビーカーを持ってくれる。

私が一人の時、空港の手荷物を受け取るターンテーブルでは私のスーツケースも難なく持ち上げて助けてくれる。

向こうからやってくる男性はみな私の道を開けてくれる。

これって普通なんです。

日本に帰ったら、誰もそんなことしてはくれない。

人のことなんて興味がないのだろう日本の男性は冷たく見えてしまう。

 

今の私はもはやそんなことはどうでもよくなり、男性にまったく期待していない。

しかし、時代は大きく変化してきている。

つまり、パワハラモラハラセクハラ、、、それに気づかないと訴えられる時代になったのだ。

 

私自身も上から目線には気をつけている。

これからはどんどんフラットな時代になっていく。

私はこのために今まで男尊女卑を勉強してきたように思う。

やっとフラットな時代が来たのだ。

男と女に上下はない。

若い、年寄りにも上下はない。

あるのは、やったやられたという戦いでなく、、、思いやりだ。