罪悪感こそ、人生をダメにする

人の中にある罪悪感こそ、人間を作った存在に植え付けられたものだ・・・と知った。

もともとわれわれ人間の中に罪悪感はなかったという。

私はこれを聞いてものすごく腑に落ちた。

 

罪悪感こそ人の人生を委縮させるものはないと思ってきたからだ。

もし、罪悪感がなければ人はかなり大胆になれる。

今よりもっと多くのことを成し遂げるだろう。

 

子どもの頃、親や家族になにかにつけお前が悪いと常に言われてきた。

罪悪感は私に深くとってまとわりついていた。

私が事故を起こしたり階段から落ちたりしただけで叱責を受けた。

一番傷ついているのにお前が悪いと怒鳴られる。

たとえ、不注意であっても痛みを感じているのは本人なのいに、先に「よしよし、痛かったね。大丈夫だよ」ではないか。

おかげで自分の娘を育てる時に私はかなり混乱してしまったが、ひとつひとつこれはどうなのか?といちいち検証していったことで、自分の罪悪感がかなり歪んでいることがわかった。

 

私は普通に生きていたらダメで、ものすごく頑張らないと周りの人から受け入れてもらえない、必死で働ないといけないと強迫観念を持っていた。

お金を儲けないとダメ人間くらいに思っていた。

働かないもの食うべからず的な観念は罪悪感から起こってくる。

つまり、私は普通に生きて存在していてはダメだと思い込んでいた。

 

一説には、人間を作った高度な存在がこの3次元から出ないようにこの罪悪感を植え付けたとか・・・。

なるほど、見事な仕組み植え付けたものだ。

 

私が今まで学んでわかってきたことは、

私たちは生きているだけで尊い存在ということだ。

体の自由がきかない人も老人もみな素晴らしく愛おしい存在なのだ。

自分がなにもできなくてもいい。

特別に有能でなくても、何も知らなくても、生きていているだけでありがたい存在なのだ。

 

こうして年齢を重ねてきて、できなくなることはこれからも増えていくだろう。

しかし、私は何もできない自分を愛おしく思い、「よしよし・・・大丈夫だよ」と自分に言い聞かせていくことにする。