闇をなんとか説き伏せようとしていた。
光に導こうと公正させようとしていた。
疲れるほど闇について説明してきた。
ところが、そのことで、昨年ごろはもう体に来てしまっていた。
アセンションのため、それは相手のためにもなるんだと必死だったが、
闇を光に変えようと話せば話すほど、私はどんどん落ち込んでいった。
私の人生はじわじわと停滞していった。
気づくと体は(痩せているのに)重んくなり、目が見えにくくなっていた。
こんな状態の中、とうとう昨年、闇は闇で問題はない、闇は闇を楽しんでいるんだと知ったのだ。
私は闇に白旗を上げた。
もうできません。
一瞬敗北を感じたが、それより、ふしぎにも豊かで安心した気持ちになった。
そうか闇は楽しく生きているのだ。
闇は闇の正しさがある。
理解できなくても、私は闇を冷静に認める。
ある意味、私は闇を知りたかった。
光ばかり求めて生きてきた私は闇とのバランスを取る必要があったのかもしれない。
また、よく言われていることは外に見えているものは自分のこと闇さえも。
つまり、この闇とは自分の闇のことだ。
自分のものでも相手のものでも、どちらでもいいことだが、搾取された人たちの怒り(闇)と向き合いたかったと思う。
今年に入りコロナ騒ぎが起こり、物理的にも仕事ができなくなっていたこともあり、私は大きなチェンジをする時だと納得し、いったん今までをやめてみた。
他人を読んでも自分のことはよく見えないもの、深いリーディングができる何人かに視てもらうことにした。
どうやら私は人の闇に近づきすぎてきたので、そのせいで生きている人・死んでいる人の霊がとりつき私のエネルギーを吸い取っていると、私のオーラ領域にいろんな存在がたくさん入ってしまっている、今までは私は神様たちに守られていたからなんとかやってこられたと言われた。
普通の人なら倒れていると。
私たちのように人のエネルギーを読む仕事の人はこの点の扱いがとても難しい。
私は人の痛みを一緒に受けてサポートしたい、母親のように許して受け入れたい。
犠牲者の想いを汲みたいなど、宗教的・スピリチュアル的な強い思い込みがあった。
他人への親心みたいなものだ。
ある意味、これは分かっていたことなのだが、どこか自分は無敵だと思っていたためになかなかやめることができなかった。
悲しいかな自らこういうエネルギー体を受け入れてしまった。
もともと憑依体質であることは自覚していたが仕事がら人の闇に近づきすぎてしまった。
それほど闇を知りたくて好奇心が勝ってしまっていた。
ただこれは悪いことばかりではなく、この体験は今の私の光と闇を統合するのにとても役に立っている。
なぜなら、光も闇も同じレベルで見ることができるようになったからだ。
光だから、闇だからと言っても、今の私にはなんら変わりはない。
闇を恐れることもないと思うまでになった。
この闇と向き合った9年間が、ある意味、私の停滞期間だとしても、闇と向き合う期間が次元上昇のためには不可欠だったのだと思う。
闇とはなかなかの存在である。
今はすっかりリセットして、やっと自分の中心軸にがっちりと戻ることができた。
これからは私の幹を太くすることに専念していきたい。
大好きな大木のような自分になりたい。
♥しばらくは自分に気づきながら浄化していくことになるだろう。
また、ライトワーカーとして、死んでいる人をなんとか光へと導きたいと思うが、それさえも本人次第だと思っている。
私の学びとして、もしネガティブなものを引き寄せた時、それにすぐに気づくことが最も大事だと思っている。病気なども同じでネガティブなものを引き寄せてしまった自分に気づくことだと思う。
この私の体験した闇と光については、なかなか深いものがあるので、また話したいと思っている。
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