絶望が希望に変わる時

ライラックの花、なんて香しい
ライラックの花、なんて香しい

今この進化の中で一番注意していることは、

無意識に上から目線で話したり、私の方が年上だからとか、よく知っているとかをやってしまうこと。

この意識改革は年齢を重ねている人は意識してきちんと学んだ方がいい。

この3次元世界ではピラミッド状の人間関係が成り立っているために、どの場面おいてもそのような上下意識で成り立っている。

特に周りの人と比べたり競争社会の中で鍛えられてきた人はその洗脳状態にある。

これからさらに若い人には上下意識は通用しなだろう。

ものすごくフラットな社会がやってくるからだ。

迎合するとか、忖度するとか、周りと合わせるようには動かないだろう。

周りの空気を読んで場を乱さないようにするとか、年上の人をよいしょして持ち上げてすごいですね~とも言わないだろう。

今までは優劣で人を見たり、変人扱いしたり、狭い常識や組織の中で昇進を目指してきたような人たちは、これからのフラットでなんでもありの世界についていけなくなるかもしれない。 

そんな世界についていきたくないという人もいるだろう。

しかしフラットな世界や多様性の世界はなかなか面白い世界だと思う。

年配の人たちも若い時にはそのようなことを願っていたかもしれないからだ。

 

 フラットな世界ゆえに、場の乱れ、社会の乱れは起こってくるだろう。

昔のように協調したり、一丸となってことにあたるなんてこともなくなっていくだろう。

嫌なことはしたくない。

それより自分の世界を生きていきたい。

我慢や忍耐のような無駄なことはしない。

一見世の中は乱れていくように見えるがフラットな社会になっていくための調整期間はあると思う。

 

私は子どもの頃からこの理不尽な3次元世界が苦手であった。

男たちに女が何を偉そうに何を言うと、家族の中でいつも怒られてきた。

また、弱い人(母タイプ)を助けたい気持ちが強かったために、そういう人に近づきすぎて嫌われたり、強い人(祖母タイプ)怖くて好きでないのに近づいて怒られたりしてきた。

結局、何をしても嫌われるのだ。

(自分を嫌いな人は誰のことも好きにならない)

また、保身に回っている父のような男の人にイライラしていた。

25歳の時、長女が生まれた。

まったく彼女を愛することができない自分に衝撃を受け自分の育ち方ははっきりと間違っているとわかり、そこから、いばらの道で長い時間をかけて愛を求めて人生を見直してきた。

人生を進化させたいと望み、精神世界にどっぷりとはまり、結果、2008年に「人生を進化させるワーク」を作った。

ものすごく熱中して人にも教えた。

ところが当時はあまりに早すぎてなかなか周りの人には理解されなかった。

2010年には本にしたいとスピリチュアル系の出版社に送って担当の人会ったりしたが実現はしなかった。

2014年には自分への失望からこのワークを封印した。

 

ところが今年2020年入りこれを再度形にしたらどうかというメッセージを人を通して何度も受けるようになった。

時が来たのである。

そうか、このフラットな世界になってきているのであるから、私は今こそ形(本)にできるかもしれないと思うようになっている。

傷つきすぎて嫌になってしまった「もの」を再生させること、それは傷つきすぎて絶望を体感してきた私の再生と共に・・・始まるのだ。