私がたどり着いた「多様性」というあり方

今、長く続いてきたピラミッド型の上下の人間関係は私の中で急速に崩れています。

やっと私は「多様性」というあり方にたどり着きました。

幼い頃より、この上下の人間関係が嫌でことあるごとに抵抗して生きてきました。

しかしながら、ここから卒業するのはなかなか大変でした。

私の中の上下の人間関係の刷り込みは相当なものです。

この上下の人間関係の最たるものは「差別意識」です。

よって、幼い頃から「差別」というものが人生のテーマになっていました。

私は常に「差」が気になりました。

 

男女の差別

貧富の差別

人種の差別

外見差別

学歴差別

 

私はこのいろいろある差別の中でも、特に男尊女卑や男女差別を体験して育ちました。

それは幼い頃から、祖父母が母親を罵倒している声をよく耳にしていたからです。

このアホが、この馬鹿が、女みたいなもんが、女だてらに、おいお茶もってこい、女は後回しでいい、、、というセリフを何度も耳にしていました。

私は昭和29年生まれで、当時の日本は高度成長期真っ只中、働けば豊かになる時代です。

男たちが社会の中心になっていた時代です。

まだまだ男の言うことが女より上であると思われていました。

母の時代、家に居て家事育児をすることが普通でした。

私はこの男性優位社会というものをじっくりと体験体感しながら、これを反面教師にして大人になりました。

そのこともあり、自ずと女である私は救われたくて、スピリチュアルな世界へといざなわれ

 たのだと思っています。

 

しかし、ヨーロッパのすてきな女性たちを見て暮らし日本に帰った後、20年も経っているのに、男性に受けようとする日本女性の態度やしぐさや会話を見るたびに、かつて女たちが蔑まれてきたこと、男たちの性道具にされてきたという、女たちに共感する心が痛みます。

まだ今なお、女たちはそうなのだ・・・と。

 

長く男性優位社会で女性たちは価値を下げられてきました。

昨今のmee too運動の盛り上がりは実際に蔑まされた女たちの心からの叫びです。

睡眠導入剤を飲まされてレイプされている女性たちも声を上げています。

しかしながら、まだまだ若い女性たちが男性に受けようと迎合している姿を目の当たりにするとショックを受けます。

ヨーロッパで生活していた(1986年~1999年)日本の女性はイエローキャブだと言われて、誘えばみんな誰でも・・・できると言っていた白人の男たちに嫌悪感を感じ、日本の若い女性は白人の男性に迎合しているという事実が当時受け入れられませんでした。

何かとてもリアルにアジア人の女性を見下している、という深刻な人種差別を何度も感じました。

とはいうものの、ヨーロッパにおいて女性は男性にとても大切にされています。

アジア人の私もそれを体験しました。

私は1999年の当時、日本に帰国後、日本の男性のセクハラパワハラに再ショックを受けました。

道を歩いて男性とぶつかりそうになっても、男性、特に中年以降の男性は道を開けません。

雪道を歩いていて、細い一本道でも、おじさんは私にどけ!という態度、挙句にどかんのかと一言・・・私だって雪道を必死て歩いているのに。。。

彼らにとって女性は若ければ若いほどいいんだと思います。

 

女の価値について長年観察してきて 一番驚いていることは、

女こそ、女を貶めていると知ったことです。

女である女性が、女性に嫉妬して女性を引きづりおろす。。。

これは、私は母と祖母や叔母を見てきたこととも関係しています。

嫉妬の恐ろしさ~、差別の恐ろしさ~~~を学んできました。

 

私が13年前に人を進化させるコースを作った時に、私がクリアしていくことは「人を尊重する」ことだとわかり、そこから、やっと多様性というあり方にたどり着きました。

多様性とはみんな違っていい、人類はみんな違っているからいいのだ。

違いを受け入れて共に生きるという意識になっていったのです。

 

上下の人間関係は3次元に生きるためには必要なものだったのかもしれません。

3次元世界では差別を基にネガティブな現実を生きているのです。

それはそれでいいのだとやっとわかるようになりました。

つまり、私は3次元に生きるために、ネガティブな現実をあえて作り、その中に埋没して苦しんできたということができます。

この差別を体験するために・・・。

 

やっと多様性にたどり着き、差別を見ても、おそらく醜いものを見ても、以前ほど、あまり気にならなくなっている、、、そんな境地になっています。