私が4歳の頃、母が義祖母に、、、話す時、心で思っているとこと口から出る言葉が違うのがわかり、とても嫌だった。
母にそのことを、、、どんなに指摘しても否定された。
母はいつもそんなことはない。
あんたが間違っていると、いつも言い返された。
87歳になった今でも母は都合の悪いことを黙っていたり、本当のことはなかなか言わない。
直感から見抜いてしまう私はいつも意地になって本当のことを追求する癖がついてしまった。
母のようなあり方こそ、今ではそれが3次元で生きる術であると今は深く理解している。
当時の私は、なぜ母は義祖母に本当のことを言わないのだろうか。
義祖母に嘘をついていることになる。
特に、母は義祖母を恐れていた。
だから、都合の悪いことは言わないか、言えない、黙っている。
本当のことを言えば、大きな声で脅すからだ。
私はそれでも嫌だった。
心が素直に思っていることを、話ことはとても大事なことだと知っていたからだ。
体にもいいのに。
どんなに恐ろしくても、NOと言うことは大切なことだと思っていた。
嫌ならNOと言うべきだと思っていた。
しかし、義祖母に嫌だ、NOだと本音を言ってしまう私は、いつの間にか義祖母の怒りをぶつけられるターゲットになっていった。
家族のだれも守ってくれないので、このいじめに耐えられず、あまりにも辛くて4歳で子どもでいることをやめたくらいつらい日々であった。
私がしっかりと自分を持っていたために、今で言うところの義祖母から虐待を受けていたのだ。
日々罵倒されていたので、そのうちに、本当の言うことは身の危険を感じるとなり、次第に口答えをするからと言われ、口の周りをつねられるので、私は自分の人生を子どもらしく生きるのをあきらめていった。
それは自分を守るためだった。
精神的に幼い母は私を守るどころか、義祖母と一緒になって義祖母のいじめを容認していた。
私は自分が結婚して、長女を産んだ時、まったく長女に愛を感じなかったのに驚き、とても恐ろしくなった。それを自覚した時、私は愛を知らない、どうしよう、、、私の家族は愛などまったくなかった、形だけの家族だったんだと、自分の育ちの偏りに衝撃を受けた。
嘘で塗り固めた形だけの家族・・・そこから、私はどうしたら、本当の愛のある母親なれるか、、、その時から長い長い探求が始まった。
♥それは今から40年以上も前のことなんですよ。
おかげさまで、あふれる愛を知り、とても満たされる日々がある今、この体験も意味のあること、感謝しかありません。
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