見えている人生は自分が作っている現実だとすると

2011年3.11後、これが自分の意識の進化であると言えるのか、とにかく意識が変わりすぎてしまい、ぼーっとしているような状態になった。

私のような状態を体験している人を知りたいと思っていた。

一体私に何が起こっているんだろうか?

以前のようには全く動くことができない。

感じ方も変わってしまって現実感がなくなった。

これはまさしく私個人の進化のしかたであるのかもしれない。

また、人に認めてもらいたいとも思わなくなっていった。

ただ、このまま死ぬわけにはいかないので、ブログを書いて、私の体験を伝えていきたいと思ってきた。

自分の見えている世界は自分が無意識に作っている世界であると実感として感じるようになったのは、2011年3.11後のことである。

その前までは、なんとか、、、これが好き、これが嫌、これはこう、こういうことになっていく、そう見える、こうなっていくというはっきりとした確信が私にはあった。

自分は何が好きか嫌いか、これが好きであったはずなのに感じない。

3.11後は、目の前のことはまるで他人事のように感じてしまい楽しめなくなってしまった。

現実との遊離みたいになものがあり欲がない状態となり、こうしたいというものがなくなっていった。

何を着ていいのか、何を見ていいのか、それがいいのか悪いかもわからない。

これは怖い体験ではなく、むしろ気持ちのいいものでより安定するような感じであった。

しかし、困ったのは、以前のように動けない、話せない、行動できないということだ。

その反面、内面はすごく穏やかになっていった。

生活はこんな感じで、必要なものが必要な時にやってきている状態で遊んでいるような感覚となった。

時間もあるのかないのかわからなくなり自由な感じになってたくさんの時間ができた。

しかし、これから何をやっていけばいいのか、どうしたらいいのか?焦ったもいた。

新しい生き方の本を読んだりカードを読んでもらったり人の話を聞きに行ったりしたが、どれもさっぱり私は腑に落ちなかった。

さらにこの3年くらいは最後のデトックス状態で、クライアントのことを通して実家の母を通して、かなり古い執着と怒りが湧き上がり、それを見るのが辛い状態であったが、自分といる時は安定して落ち着いている状態であった。

過去何十年もかけてたくさん自分の過去を見てきているのにまだあったなんて、最後の一滴までもネガティブ体験をした感じである。

これも結局、統合へと向かっていった。

この頃では、人に話していることが自分に言っているように聞こえてきて、ああ自分のことなんだなあ、自分が知りたいことなんだなあとなりとても面白い。

また、人のことはそのまま放っておけるようになってきている。

何年も孤独にも試行錯誤をしてきたが、、、やっと私は同じような体験をしているグループにやっと出会い始めている。

仲間に会える時が来ている。

長かった~~~。

もちろん、人は一人でいたいときは一人でいたらいいし、みんなと一緒にいてもいいしどちらでもいいと思っている。

私たちはどうせ繋がっているのだから。

人はまずは自分の探求をして自分軸を持つことが先決だと思う。

人はしっかり立ってこそ、宇宙と繋がってこそ、そこから新しい時代の繋がりは始まる。

人の上でもなく下でもなく、皆それぞれでいいという感覚が大事となる。

まあ、本当に夢見た新しい時代が来たんだとしみじみと喜んでいる。

この感覚をみなさんとシェアーできるといいなあ~~。