母の人生や周りの女性たちの人生、さらには、クライアントさんたちの人生を見てきて、いかに女性蔑視というものがベースに問題が起きているのかを知った。
私は幼い頃より女性蔑視という仕打ちに心を痛めてきた一人だ。
男は女より優秀で偉いと思っている年配の女性たちは少なくない。
本気で男が上だと信じている母は夫中心の生活を受け入れていた。
私が育つ家庭で理不尽さを感じていたが、母はまったくそれに反抗することはなく、素直に夫や祖父祖母に仕えていた。
彼女はまさしく下女に成り下がっているということも、認識できないくらい、当たり前のこととして従ってきた。
その母の娘である私は母にとっては下女の下という位置づけであった。
もちろん、私はそんなことに屈しないので、彼女はいつも私に怒っていた。
女は馬鹿だ、女の分際で何を言うと、、、言われても、私はそれを受け入れる気持ちなどさらさらない。
むしろ彼らを見て一体どこが偉いの???という疑問を持っていた。
また、中年以降の男性で、女性蔑視なんてまったくないという男性にも疑問を持っている。
ほんとかな???
女性蔑視や偏見がないという彼らの父親は母親をレディーファーストという素晴らしい精神をもって接してきたのかもしれないが、私はそういう男性を目にしたことがない。
どこかで女性のことが嫌い、特に強い女性の言うことなど聞きたくないというような印象を受けてきた。
若い女性に気に入れられたいと女性に形だけは優しくする男性はたくさんいる。
心はどうなんだろうか?といつも男性をそう見ている。
何も文句を言わない従順な、、、若い ?幼い女性を求めているのではないだろうか?
私は女性がモノをはっきりと言う、はっきりとしている女性が素敵だった海外で暮らしたために、大人の女性になることが、どんなに大事なことかを学んだ。
日本でははっきりとものを言う女性は敬遠される。
これは今の若い人の中でも、、、同じかもしれない。
しかしだ、日本の女性は賢く本当は男性の態度を知っている。
ただ、それを態度や口にしないのであるが、そう言う女性も女性蔑視を観ないようにしている。
見ようとしないから、女性蔑視はないことになる。
上司や父親や兄弟や親せきの叔父さんのセクハラも、つい許してしまったりする。
形だけか、口だけか、本当に心から尊敬して大切にしてくれているのかに敏感になってほしい。
男性にはっきりと「形だけは嫌だ」と言わず、日本の母たちは男たちにNOと言えるのか、息子をどう育ててきたのだろうか?
NO、やめて、なんてはっきりと言わないのが日本人でもあるから、そんなじゃじゃ馬は私くらいなのかもしれない。
小学校も中学校も大学も会社に入っても、セクハラパワハラを大なり小なりみな女性は体験してきていると思っている。
誤解をしてほしくはないが、それは男性だけが悪いのではない。
一つの習慣であり、代々受け継がれてきている男のあり方であり、みんなそうしているからである。
男性優位社会、権力社会、学歴社会が女性蔑視をする人を量産してきたと言える。
そして、女性蔑視、、、ミソジニーを育てた、、、母親たち。
私の母のように自己価値を下げ、女の価値を下げ、女の価値を高めたい女の足を引っ張り下げる女にも問題がある。
よく見ると、自分の中にも女性蔑視を容認してきた過去がある。
忘れてはいけない。
女性同士の嫉妬の世界もなかなかである。
女性たちと対等な関係を保ちながら、それでも自分らしくありながら、助け合い協力しあいながら、ゆったりと楽しく共に生きていけるように、これからも学んでいきたい。
そんな新しい時代はもう来ているようだ。
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