⑥絶望からのアセンション物語

今私の心は、地獄と天国の中を行ったり来たりしている。

心が暗くなったり明るくなったり、アップダウンの状態.。

どうなるのかな、死ぬのかな、あまり長く生きられないのかなど。

真夜中ベッドの中で悶々と落ち込み苦しむ。

人の役に立ちたいと思いすぎて、自分の人生を生きてこなかったなんて、、、。

 

すると、その時に深い気づきがやって来る。

まあ、自ら望んで本音の自分を生きなかったから、しかたなかった。

4歳で人に甘えないで生きようとしてきたなんて。

代わりに、甘いお菓子で自分の虚しさを埋めてきたのだ。

 

甘いお菓子で埋めても埋めても、心は満足できない。

とにかく、お腹をいっぱいにしようとした。

思えば、特にこの9年間は苦しかった。

特に札幌に来て仕事でネガティブな人の人生を見れば見るほど、私に人生は全くと言っていいほどうまくいかなくなった。

もう意地になっていた。

なんとか人のネガティブな人生をポジティブな人生にしたいと必死になった。

特に15年も関わっている古いクライアントは驚くほど先祖からのものが超ネガティブだった。

今ならはっきりとわかる。

 

私はこの地球に入る時、人を助けたいと、

人の役に立ちたい、

自分のことより・・・と願っていた。

これは表面的なことではない。

魂に刻まれれている想いである。

 

ひょっとしたら、アトランティス時代の後悔もあると思う。

人の命を助けられなかった。

それを思うといつも泣けてくるのが不思議である。

 

この先祖からの強力エネルギーであるネガティブな人たちはその人生を楽しんでいると言える。

それで問題はないと思うようになった。

しかし、こちらはそのネガティブに関わるとどんどんと気分が下がってくるのだ。

この3年くらいは調子が悪くなっていた。

健康に気を付けて、不摂生をしていない。

私は大丈夫だと、守られているしと・・・しかし、私は見事に病気になった。

 

この3次元から逃げたい、現実を見たくないと(白内障)なり

甘えたい愛されたいという欲求を抑えに抑えてきたために(糖尿病)となったのか。

確かにあまりの無理解に、誰にも理解されないという想いが特にこの札幌での9年間の間にこの3次元世界で生きたいとは思わなくなっていた。

しかし、断っておくが、札幌の暮らしは寒さ以外はとても快適であった。

ただ仕事面においてはなかなかうまくいかなかった。

風の時代を迎えるために、この最後のカルマの総決算をするためには、どうしても、この9年間は必要だった。

つまり、3次元のネガティブワールドから徹底的に卒業するためだった。

 

★私たちはもともと高次の存在でわざわざこのネガティブなワールドを体験したくて、3次元レベルに落ちた(騙された)私の魂は自己救済でしか救われないと思う)

 

私はある人に、あなたの5次元レベルはもう完成しているから、その世界を3次元に降ろすという仕事になるだろうと言われた。

確かに古い次元の私は終わった。

というか、もう過去は充分に堪能したから・・・もういいのだ。

飽きるくらい見てきたから。

他人の人生についてもう何も言いたくないくらいになっている。

 

今、私は自分に集中しすごい勢いで再生しようとしている。

新しい自分を生きたい。

新しく食べることから体の動かし方からあり方までを学んでいる。

 

こうして観ると

昨夜も気づきがあった。

それは、私のサクリファイ的、いけにえ的な生き方など、

犠牲的な生き方を選んだのは、、、私の激しい愛の欲求だでもあったと思う。

私の愛(エゴも含めて)は力強く激しかったのだと思う。

私の母よりも、周りの誰よりも。

 

周りの人にこういう激しさを嫌われたかもしれない。

本来私は元気いっぱいだった。

ところが、生まれた家では自分の強さは好かれなかった。

元気で明ると叱られたのだ。

両親をはじめ家族はみんな自分の想いを抑えている人たちだった。

いつのまに、自分の激しさ強さを抑えに抑えて生きるようになった。

 

32歳でヨーロッパに渡った時、私の視界は広がり、なんだ、私らしくするといいことなんだとわかった。

私より彼らは自分を思い切り表現して生きていた。

私の強さや明るさは全く問題ないのだ。

それより、彼らは私の個性を喜んでくれた。

私がヨーロッパ13年間に出会った人たちはみな素晴らしく開放的だった。

まぶしいほどに。

 

45歳で日本に帰国する時、碁盤の目の中に体を縮めて飛行機の上から入ったように感じたのを今でも覚えている。

そこから、私は離婚して、自分がたくさん学んできた念願のスピリチュアルの仕事をオリジナルのやり方で始めたのだ。

それでも、当時はまだまだ占いとか言われた時代で人々は懐疑的だった。
私にはスピリチュアルは特別なことでもなく、人が幸せになるという、普通に人のあり方だととらえていた。

・・・続く