④絶望からのアセンション桃語

事実、私は幼い頃から常に母親(子)を守る母親のような役をやってきました。

これは逆転です。

これは私の育ち方のゆがみでもあります。

母親に気に入られようと常に母のサポートに回っていました。

母親か困らないように細かくいろいろとアドバイスしてきたのです。

祖父母の2番目の義理の激しい気性の祖母にいじめられた時もずーっと母の味方でした。 

しかし、そんな甲斐もなく母親は時々私を裏切り義理の祖母側についたりしました。

 

彼女に感謝されるということはなく、常に口うるさい娘だと思っていました。

私は46歳で離婚し50代に入り、一人でオリジナルの人へのアドバイスの仕事を順調にはじめても、母はなんなのかしらふしぎだねえ・・・としか言いませんでした。

娘の成功は認めたくないのです。

私はそれに鳴れていたせいで、彼女をあまり責めることはありませんでしたが、 

私が2008年に次元上昇のワークを作りを実践し、2011年9年間、体に抑え込んで溜まりに溜まっていた母への怒りが吹きあがって苦しんでいました。

そんな時のクライアントもまた似ている問題を持っていました。

 

しかし、2020年、母のあり方が自死した祖母(母の実母)と同じことになるように見えたので、危ないと思い、12月はじめに実家に帰ってそのことを話しました。

その時も母はふーんという感じでした。

また母を許したいと想い、母を抱きしめ許す儀式(12月2日)にしました。

母を抱きしめた時、私はどんなに彼女を大好きだったかとわかりました。

その後、私の両腕は冷たくなり真っ黒になったのです。

何かが体に入ったような。

しかし、これで終わったと思っていました。

 

さらに、12月14日神戸まで生き古いクライアントの5次元世界を提案してハグして別れましたが、

その時も、二人を抱きしめた後、私の腕はゾーンと腕が黒く冷たくなったのです。

 

<不思議なこと 母の死を夢で見て>

神戸行きの12月4日の朝方リアルな夢を見ました。

心が許せたからと母と温泉プールみたいなところに行きプールサイドで話していると母がいない、探しに行くと、母は気絶していたのです。

死んだのかなと慌てふためいて、抱っこして、なぜか地底からかマイナスからのエレベータに乗せた。

目が覚めてから、私は母を生きていたとわかったです。

私は自分に戻ったのです。

60年以上も母の人生を生きていたのです。

 

そして、それを実際に神戸から電話で母親に話した翌々日に、母は実際に体操教室で本当に気絶して救急車で運ばれました。

彼女はその翌日あっけなく元気なって退院しました。

とその代わりに、私は死の宣告を受けたのです。

糖尿病と白内障…信じられないことに。

おまけに神戸のクライアントも糖尿病と言うことだった。

 

これが偶然なのだろうか?

しかし、これは先祖のことも含めて彼らのせいではなく、私が受け入れてしまったことなのです。 

痛い学びです。

必要のないアホみたいな。

 

さあ、、、ここから私は立ち上がないと、今まで苦労してきた意味がない。

スピリチュアル30年以上も学んだ、、、ただでは起きないミサエです。

 

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