自分の執着を愛に変えるとは

中島公園の凍っている池の上の足跡
中島公園の凍っている池の上の足跡

自分が一番認めたくない執着は、自分の現実を見えにくくする。

執着しているものは怒りがベースになっている。

怒りというのは起爆剤になるので、それをばねに生きている人は少なくない。

それは基本的には子どもの頃からの怒りで、親や大人に怒っている。

大きくなっても、その怒りに執着しているのだ。

また、執着は隠された敵意となっているから、大人になっても周りの人向けられるから厄介である。

そのイライラが何であれ本人も周りの人も居心地は良くない。

 

私の場合の執着は、母親への怒りが大きいけれど、その怒りを何度も観ていくうちに、親に怒りを当てていてもしかたがないことはよくわかる。

クライアントを見ても、隠されている敵意をどうしたものかと学んでいるうちに、その怒りを自分のものに引き取るのが一番いいということがわかった。

そして、そこに十分な愛を注いでやると、とても安定するのだ。

 

つまり、子どもの頃に作った親への怒りは、親には関係ない自分の学びだと受け入れてしまうと楽になるということだ。

たとえ、酷い仕打ちを受けてもである。

もちろん、自分に引き受けるなんてことはそんな簡単なことではないことも重々承知である。