私の中にもある無意識の差別意識

私の中にも、、、まだまだ差別意識があります。

私は幼い頃から、男尊女卑という差別をされて育ってきたので、私は差別されたという被害者意識が強くありました。

また、海外に13年間住んだことで、黄色人種?差別(暗黙の白人至上主義)というものの奥深さを感じて過ごしました。

私が日本人というより黄色人種であるというものなのだろうか、例えばレストランでは空いているのに窓際の光の当たる良い席に通されない奥の暗い席に通されてしまう、購入するために列に並んでいるのに無視するなど、日本では受けたことのない屈辱であった。

私のことを何も知らないで外見だけで判断されしまう。

おそらく黒人というだけで白人に差別されてきたようなものと、同質の差別意識である。

1986年~1999年のことであるから、今はそんな差別などないというかもしれないが、こういう意識は古くからDNAに組み込まれているくらい根深いもので意識しないと直せない、体験してみないと気がつかないものである。

それは過去日本の男性がアジアに売春旅行に出かけて行くくらい女性を見下していたり、若いか頃から平気で女性に失礼な言葉を投げかけたり、女性が嫌だと言わないから女性の体を平気で触ったりしていたくらい、男性は罪の意識さえなく、その差別的な行為に気づかなかった。

欧米でも女性への性的差別からセクハラなどで訴えられるようになっているが、被害を受けた女性がみな声を上げるのはまだまだである。

私は日本で差別を受けている他のアジアの国の人の気持ちを味わったことで、私の中の差別意識をとても意識するようになった。

長く男尊女卑や人種差別について被害者であったが果たして私が常に被害者かというとそうではないことにも気づいた。

人をついつい優劣を見たり外見で判断してしまうことがある。

それに気づくたびに恥ずかしいと思いながら、まだこんな差別をしていたと反省する。

時代は多様性の時代へと進んでいる。

もはや人を外見や優劣で判断してはいけないのだ。

人それぞれということです。 

 

♥この差別意識はどこから来たのか、実はこの差別意識は私たちの祖先からの受け継がれたものだとわかりました。

差別意識は私の中にある先祖からのそれぞれの時代の思い込みです。

一つ一つ私たちの中の差別意識を見直していくことでしか、差別はなくならないと思っています。