人の共通認識がなくなっていく

若い人のために良いと思って注意してあげようと思っても、とても躊躇してしまう時代になった。

人としてそれがその人のためになると思っても、また、その人の子どもにとって良いと思ってもその指摘がためになっても話しにくい難しい時代になった。

今まで人はテレビや新聞・ラジオなどである程度共通認識を持っていた。

そこを踏まえた上で、互いに違う意見を言うことができ、それゆえに、互いに違う意見でも、違いを理解することができた。

ところが人はネットなどから自分の知りたい情報を見始めたことで、共通認識というものが崩れているように思う。

つまり、隣の人は何を見ているのか、何を信じているのか?まったくわからない状況で、ひょっとしたら自分とは真逆の考えを持っているかもしれない。

身の危険を感じるような考えをもっているのかもしれない。

とてもわけのわからない未知な世界になっていく、それは、平和な世の中ではなくなっていく危険性をはらんでいるように思う。

 

まあ、これが多様性の時代が来ているということである。

それが良いのか悪いのか今はまだわからない。

個をしっかりと持たない日本人はどこかに所属していないと不安な人が多い。

人はどこに所属していくのだろうか?

そうなると、身内のつきあいや近所のつきあいとかではなくなり、趣味の会とか何かその人の好きな集まりにひかれていくのかもしれない。

誰かとつながっているために、自分の好みや価値観が大きく影響していくように思う。

しかし、それより一番憂うのは、。。

ひとりになってこもってしまう人が増えることである。

 

ただでさえ、この権力闘争社会は人を上下関係の中に置き、人の競争意識をあおることで利益を上げてきた。

その弊害から人は人を競争相手として見る、そのことで、人は人との横のつながりを分断され孤独に追い込まれてきた。

 

働きすぎから家族との会話もなくなり離婚する人や、競争社会に巻き込まれたことで友達を作ることができない人や、いじめの中で人を信じられなくなった人や、親のエリートコースのレールに乗せられてその期待にこたえられなくなり引きこもってしまう人など、この上下の差別された世界で、苦しんできた人たちは少なくない。

社会との関係を閉ざしている人が開き直って、自分らしく生きやすくなるといいなと思っているが、なかなか人は器用に変化できないのも事実である。

未来を憂い、精神的に追い込まれていく人もいるかもしれない。

また、パワハラ・モラハラ・セクハラなど、何か起こると法に訴えることもこれからは増えていくと思う。

 

こういう閉塞感あふれる時代において、ここから脱出するための発想の逆転というものを私は提案していきたいと願っている。