男女である前に人として

映画レディ・マエストロという世界で初めての女性指揮者になった女性の実話です。

最後のテロップの中で2007年の歴史に残る指揮者20名に彼女の名前はなく、また2017年50名の中にも彼女の名前はなかったとあった。

女性とは、いつまでもどこまでも女性であることだけで不幸なんだと思ってきました。

私は男尊女卑の家庭に生まれ、女性であることが呪われているような環境で育ちました。

兄弟の真ん中で、女である私は差別を受けて大きくなりました。

否定されて育ったことで自分のことが長い間嫌いでした。

名前さえもです。

20歳になった時、自分の名前を好きになった男性に教えることに抵抗がありました。

いろいろ乗り越えてきて、今では自分のことが大好きになっています。

しかし、子どもの頃は兄弟のように普通にしていては、家族からは絶対に認められることはありません。

学校ではとにかくがんばらなくてはいけないというプレッシャーの中で生きてきました。

とても緊張した子ども時代を過ごしました。

こういう女性は私の年代では少なくないと思います。

後に海外に住んだ時、日本女性は素晴らしいと思われるのは、この頑張りのせいだとわかりました。

さて、子ども時代というのは、その人の基礎となります。

子ども時代とは人生の土台が作られる時期です。

この土台が緊張でいっぱいで自信がない場合は、この土台は不安定でぐらぐらしています。

しっかりとした土台でないとしっかりとした家は出来上がりません。

私が32歳の時、元夫や娘たちとヨーロッパに移住したのですが、個がしっかりとしているヨーロッパ人の中に入り、私は人として根本的に問題があると実感しました。

私と出会ったヨーロッパ人の土台はしっかりと強固なので、人としてしっかりとしていたのです。

不安定な土台しかなかった私はヨーロッパに渡ったことで、この土台作りを一から作り直すことにしました。

また、ヨーロッパにおいての素敵な女性とはこういう人たちのことなんだ、女性は男性からこういう扱いをされるものなんだ、レディーファーストとはこういうことなんだと、深く感動して学び納得しました。

そのことによりあらためて自分の育った日本の男尊女卑の問題を見直すことになりました。

日本では集団心理が働くために個としての自分を重んじるということがなかなか理解できないと思います。

親がそうだったから、地域がそうだったからなど、みんながどう思うか、周りの人はどうするかを見てから自分の言動を決めるということが慣例化しています。

今は新しい時代だからと、個を尊重していると言っても、私には個を尊重しているようにはとても見えないくらい、今でも無意識の男女差別を感じます。

(あらゆる他の差別もあります)

今でも、中年以降の人達の無意識の中に男女差別意識を強く感じます。

たとえ、新しい生き方をしていて優しい男性と言われている人の中にもこの男女差別意識や女性蔑視を感じることが多々あります。

日本に一時帰国した時、あるとても有名なスピリチュアルリーダーのアメリカ人のそばに、たくさんの日本女性が自分の「女」を出してべたべたと近づいているのを見て驚いたことがあります。

このアメリカ人のスピリチュアルリーダーはまるでハーレムのようにニヤニヤしていたので彼の話をまともに聞く気になれませんでした。

白人至上主義も散々ヨーロッパで体験しましたが、日本人の白人好きもあるのでしょうか?

つまり、人として男女が対等ではなく、人としてより女であり男になってしまっているということは問題だと思っています。

もちろんこのアメリカ人に聡明な日本の女性たちが媚を売っているつもりはないと思いますが。 

私はこのことについて長く探求しているので、未熟な父親が娘を女として見るというアビューズや母親が自分の息子を恋人にしてしまう危険な行為を観てきました。 

まずは、人として自分の性について、しっかりと向き合うことがレイプや売春や不倫や家族への裏切りを失くしていくことになると思っています。

仕事する前にまずはひとりの人間、大人になることが求めらます。

 

このあたりのことを、これからわかりやすくお話ししていこうと思います。